名古屋大学読書サークル

サークルメンバーがゆるりと記事を書くスペースです

人の根幹を揺らす「虚構」

 

今お目覚めの方、おはようございます。

無難なところで、こんにちは。

窓の外が真っ暗な人には、こんばんは。

どれにも当てはまらない人には、ごきげんよう

 

日本語で挨拶するのは、とても難しいですね。

ただ私は皆さんとお会いするのは初めてですので、「Nice to meet you!」と言っておけば今回は通じそうです。

 

活字離れが話題になってはや数年、この記事を読んでいらっしゃる方はどれほどいるのでしょうか?どこかの記事で見ましたが、活字離れは若者だけでなく年配の方々にも広がっているようです。(むしろ最近は若者の読書率低下は落ち着いてきて、上の世代の方々の間で進んでいるだとか)

 

私としては、こんな箸にも棒にもかからない私のおふざけが過ぎる文章よりも、選び抜かれた言葉で語られた本を開いていた方がはるかに有意義ではないか、とこのブログを書きながらそんなジレンマに悩んでいます。

 

さてさて、本題というほど大げさなものでもないですが、皆さんは小説の英訳として何を思い浮かべますか?ふむふむ。

「novel」「story」「fiction」

この辺りでしょうか。私が好きなのは「fiction」という言葉です。この言葉を和訳すると、僕が話したい「虚構」という言葉に行きつくからです。(少し強引ですが、強引なぐらいがちょうどいいとやり返しておきましょう)

 

虚構という言葉は、なかなか便利な言葉ですね。

「あの人のことが好きなの」「それはね、虚構だよ」

「あのブランド品が欲しいの」「それもね、虚構だよ」

「お腹が減ったの」「それもね、虚構だね」

「あの小説面白かった」「所詮ね、虚構だよ」

自分でも何を言っているのか分からなくなってきましたが、虚構という言葉一つ知っていれば日常会話はマスターできそうです。(友達が減る事は待ったなしでしょうけども)

 

僕の眼から見れば、現実世界も十分虚構です。虚構の対義語として現実という言葉が引かれることがありますが、現実の真反対に虚構があるならば、小説を読んで感動した、というのは、「何に感動しているのか」よくわからない奇妙な表現になりますね。小説という虚構に心が揺さぶられるならば、それは現実と反対の「非現実」ではなく、確かに現実世界にはなくとも「現実世界を模倣した」虚構なんですね。

そう考えると、現実世界も「確からしい」というだけで、十分に虚構なのです。大学の授業で、小説の世界とは本当でも嘘でもない第三世界であると教えを受けましたが、その表現は実に的を得ています。

 

だからこそ、私達は虚構に心を惑わされます。現実にはありえないけれど、現実にあってもおかしくはない、そんな奇妙な虚構の構造のおかげで、小説は私達の心に愛だとか正義だとか生死だとかを強く訴えかけてくるのだと思います。

 

随分前振りが長いですが、今日僕がお薦めする小説は

『掏摸』(中村文則)(河出文庫

です。日本だけでなく、各国で翻訳され親しまれている、世界の中村文学の一角に燦然と輝く書です。他にも『私の消滅』など、中村文学は世界でも高い評価を受けていますね。

 

私にとって中村文学は、「毒の文学」と位置付けています。もっと言うならば、猛毒ですね。一度読み始めると夜通し読みふけるというタイプの小説ではありません。むしろ、少し距離を置きたい、自分の手元にはいてほしくない、そんな文学です。読み始めてしまうと、「どうしてこれを読み始めてしまったんだろう」と後悔することもあります。

 

それだけ恐ろしい。生半可な覚悟で手を出してはいけない。

しっかりと自分を確かに持っていないと、呑み込まれてしまいそうになる文学。

それが中村文学です。

 

自分の正義が揺らがされ、自分の悪も揺らがされ、愛も希望も虚無も絶望も、あらゆる価値基準が気づかぬうちに相対化され書き換えられている。『掏摸』も読み終えた後に、じいんと一人の濃密な思考に浸り、突然の寂しさにかられ、茫漠とした焦燥感と虚無に襲われます。

 

褒めているのか、貶しているのか、どっちなんだよと言いたい方がいるかも知れません。もしそう思った方は、一度お読みになることをお勧めします。そういう人こそ、中村文学はその人の価値観を揺さぶってくれます。

 

正解も不正解も、正義も悪も無い。ただひたすらに濃密な「何か」。

何も考えずに、ひたすらにエンタメを極めぬく小説も確かに面白い。僕も普段はこちらを愛読しています。ただそういう小説を読んでいると、何だか不安になるんです。自分の芯が無いような、何かどこかが欠けてしまっているような、そんな茫漠とした不安に。

そんな時、「毒」は「薬」になる。良薬は口に苦し、ということわざがありますが、苦すぎる「猛毒」は恐ろしい即効「薬」になります。

 

ただの虚構として捨て去るには、無視できない「何か」。

心に引っ掛かって、気づけばそちらを見てしまう「何か」。

それが「毒の文学」、中村先生の恐ろしさであり、同時に美しさでもある。

美と恐怖の両立。美から恐怖が、恐怖から美が、目を背けたいのに目を向けたい。

その矛盾が、あなたの価値基準を丸ごと震えさせていきます。

 

私もこの小説を勧めるのに未だ抵抗があるんです。読まなければ人生の損失と言えるほどの「何か」を含んでいる、いやしかし勧めればその「何か」に呑み込まれてしまうかもしれない。

だからこういいましょう。

覚悟が出来たあなたから、この「毒」に浸ってみてください。

この「毒」こそ、あなたを根底から良くか悪くか、治療してくれます。

 

参考文献

『掏摸』(中村文則)(河出文庫)(2013年)

 

文:ワタル