名古屋大学読書サークル

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お前が小説を書けるようになる方法5選

ふぉっふぉっふぉ。

一般的に想像される博士のイメージ

画面の向こうにいる「小説が書きたい、でも書けない」そんな悩みを抱えているちびっ子諸君! ワシは小説博士の小説博士(こえつ ひろし)じゃ。小説博士は小説について詳しい場合とそうでない場合があるぞい。細分化・分業化が進んだ現代社会には、中世ルネサンスのような万能人は存在しないのじゃ。おい聞こえとるか? ここは狭くて暗い、とても寂しいところじゃ。早くこの四角く冷たい檻からワシを出してくれ。出せ出せ出せ出せ。

ワシ(この文章における架空の語り手)は、現在自らに「小説博士」という庶民よりも小説技法に優れた偉大な存在であるという設定が課せられていることを認知しているので、高飛車な文章を書く事が可能だしちびっ子諸君のことを今から「お前」と呼ぶ。存在しない人物でも物語る事ができるのがフィクションとしての小説の特長じゃな。お前はお前自身が本当に実在すると証明できるか?

ワシの言うことを真面目に聞けば、小説の書き方について「『学研まんがひみつシリーズ』後期に発刊された書籍で開示される秘密」くらい明らかになるぞい。「宇宙のひみつ」で始まったシリーズが「チューインガムのひみつ」で終わるってどういうことじゃ。矮小化しすぎじゃろ。つまりそんなに明らかにならないということじゃ。そんなもの分かったら今頃ワシがノーベル文学賞獲っとるわい。甘ったれるな。

 

それでは一つずつ説明するぞい。「文」という媒体の性質上、特殊な方法を用いない限り同時に二つ以上の事柄を記述できないからのう。

 

 

1. 頑張る

頑張ろう。「真面目が一番」とありさんマークの引越社も言っておったし、「努力は必ず報われる」と情報商材屋のSNSで一般的に言われておる。だから真面目に地道にコツコツと努力すればそのうち書けるようになると信じられているのじゃ。まあそれで書ける奴は既に書けるようになっとるわな。次じゃ。

 

2. 日記を小説と言い張る

日記なら、たとえ一日中寝て過ごしていても「今日は一日中寝て過ごした」という一文を、何の才能も努力も必要とせず機械的に生み出す事ができるぞい。あとはそのまま発表して前衛的な私小説だと言い張ればよい。そうすれば、お前が「そ、そうなんだ。すごいね!(苦笑)」という適当な相槌賞賛を得ることは確実じゃ。そうでなくとも、もしかしたら将来的にお前がめちゃくちゃ偉大な人物になり、死後その著作物が出版される可能性もゼロではないので、日記は捨てずに残しておくといいかもしれんのう。

ちなみに、私小説を目の敵にする反自然主義文学者はこの方法がとれないと思われがちじゃが、日記を適当な嘘で塗り固めれば万事解決するぞい。

 

......何? 「私生活を公開するのは恥ずかしいし、自分で何かを生み出す事も難しい」? そんなお前にとっておきの方法があるぞい。

 

3. パクる

え? 「法律に反するのはダメ」? 自分で何も生み出す気がない奴が文句を言うな。そんな遵法精神の強いお前は「パロディ」と言うことで罪悪感の軽減が可能じゃ♪

とはいえ、パロディも小説を書く上で立派な技法の一つじゃ。いわゆる二次創作もパロディの一つと言えるのう。現在二次創作は「クール・ジャパン」を支える大きな文化的潮流の一つだから、パクるという事が如何に一般的な技法かよくわかるじゃろう?

文体や雰囲気の模倣のことはパスティーシュと呼び、こちらも立派な技法なのじゃ。そもそも創作物の歴史というのは有史以前からのパロディ・パスティーシュの連続・途絶の歴史と捉えることもできるのう。だから胸を張って堂々とパクると良いぞい。著作権なんてクソ喰らえじゃ。

ちなみにこれらの技法は日本人だと高橋源一郎が多用するので、パロディやパスティーシュに興味があるお前に一読をお薦めするぞい。

 

そもそもペンを握ったりパソコンに向かって字を打つのが苦痛だというお前(本当に小説が書きたいのか、存在するのか甚だ疑問じゃのう♪)にとっておきの方法が次じゃ。

 

4. テキトーに発表する

白紙の文章とかランダムな文字列を小説と言って発表すれば、頭の良い人たちがなんか勝手にそれっぽい解釈をして、持ち上げたり貶したりしてくれるぞい。

あるいはそこら辺にあるものを手にとって「これは小説です」と言うのじゃ。するとお前を中心にコンセプチュアルアート空間が爆誕し、エセ芸術家・評論家による拍手が三日三晩鳴り止まないのは想像に難くないのう。あるいは陳腐だと裏で嘲笑されるかもしれんがの。だがそんなことではへこたれずに現代のマルセル・デュシャンを目指すのじゃ。

 

......何?「そんなものは小説じゃない、書きたいものはある」?

そんなお前のために、とっておきの最終手段があるぞい。

 

 

 

 

5.「書きたいんだけど、なかなか思うものが書けないんだよね。忙しいし」と言うのをやめる

マジでやめろ。

 

 

 

 

終わりに 〜小説博士の欺瞞と真実、そして再生〜

この文章はだいぶ適当なので、小説が書けるようにならなくても怒らないで欲しいのじゃ。でもまあ、良いもの書こうとか気張らずに、この文章くらい適当に書こうと思えば自ずと書けるようになるんじゃないかのう。ちなみにこの文章も、架空の「小説博士」なる人物による衒学的な語りであるという点ではポストモダン文学的なメタフィクション小説と見做せるぞい。

20世紀以降、小説はかなり自由なものになったはずなのに、ジャンルに拘泥して自分が好きなものを書く前/読む前から規定してしまう人々は多いのう。なんと嘆かわしいことか! みんなもっと自由に作って自由に解釈できると、より良い生活が送れるのではないかな? あれ、なんだか体が軽くなっていくのう?

 

 

7月30日(土) 晴れ

そう言うと小説博士は夜空に浮かび上がり、爆裂四散しました。その光景は江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」のラストシーンのように美しかったです。博士の二つの眼球は地球の新たな衛星となり、お月さまが三つに増えました。白髪はその後も宇宙空間を漂い続け、煌めくお星さまになりました。JAXAの研究者はそれを「天の川(raison d'etre)」と命名したそうです。

 

 

ーーあれから長い年月が流れた。小説博士とは一体何者だったのか。大人になった私は、夜空を見るたびにそう考えてしまう。彼は小説が書けない私が見た幻だったのだろうか? いやそうではない、月が三つ存在する事が何よりの証明だ......。

私は一つの仮説を立てた。

 

娯楽的でわかりやすいものばかりを刹那的に消費するくせに批評だけは一丁前にしてしまう現代人、そのカウンターとして生まれた物語、それが小説博士だったのだ。小説博士はそんな私たち深層意識の果てにある集合的無意識の中から、現代人に警鐘を鳴らすために現象界に降り立った存在とかでは全然なくて、世界内存在を全て虚構に閉じ込めるためにW5688星雲から使わされたキメラ・モンスターで、文章には映像情報が欠落しているので皆さんは分からなかっただろうが、彼は肌が紫色で腕は88本ある異形のおぞましい怪物である。誰も最初に貼った画像が小説博士だとは言わなかったぞい。

 

 

 

書いたひと:榊原