名古屋大学読書サークル

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2024年に読んだ本

 こんにちは。初めましての人はボンジョルノ。君が代が好きな人は盆踊り。どうも、ゆおです。

 絶賛今帰省中なのですが、*1家では墓の話ばっかりしてて面白くないので、実家にある本を久しぶりにパラパラめくって思った感想でもつらつら述べていきます。そしてこれらは全て元日に読み返したので、正真正銘2024年に読んだ本です。これ、年末とかに一年を振り返る目的で出す際にしか使われないタイトルなので、恐らく2024年にこのようなタイトルでブログを投稿した人の一番乗りな気がします。2024年に読んだ本ブログRTAの王座は私のものです。

 

三島由紀夫『不道徳教育講座』

 今年の初笑いを持っていかれました。面白いしためになる。なにより観察眼が鋭い。ただ一方で本当に不快でもあります。あまりにも正直すぎて。
 三島由紀夫は解説の中で「あまりに真面目な人物」と評されていますが、まさしくその通りだと思います。私なんかは人格の根本がふざけ切っているのでこういう三島の作品を面白いと思いつつ、いざその心に同調しようと思ってもできないのです。あまりにも正しすぎて。正しいし面白いから知りたい、でも決して自分の届かない位置にいあるので同調できない。しかし、その「距離」が愛おしかったりします。永遠に届かない幻想のようで。
 少々逸脱しますが、三島が太宰のことを嫌いだと言った理由も分かる気がします。三島は、まさしく「正しい」人です。そして、自分の弱さを克服し、強くなろうと努力するタイプの人間です。しかし一方、太宰は、己の弱さをさらけ出す人間です。ルサンチマンと言いましょうか、そういうものの極致にいるのが太宰です。

 面白そうな記事があったので、時間がある方はぜひこちらも見てみてください。私はこの記事好きすぎて午前二時に発狂してしまいました。

 

三島由紀夫に「嫌い」と言われ、太宰治が「笑った」訳 太宰治が『走れメロス』と相反するような人間性であったことを前記事では解説した。だがむしろ当時の文豪でもっとも『走れメロス』 toyokeizai.net  
 

 話を戻します。『不道徳教育講座』は、世間で不道徳だと言われていることについて、その効能やらなんやらを三島が書いている作品です。例えば、「教師を内心バカにすべし」「大いにウソをつくべし」「女から金を搾取すべし」など、世間的には良くない行動ですが、それらの良さについてずばずば書いているので見ていて面白い。もちろん普通に不愉快で気に食わないものもいっぱいありますが。
 この作品の中にある笑いの観念の中に、「笑いというのは全て齟齬から生まれるんだ」というものがあるのですが、これは私の中にある、笑いについての考え方の大きな軸になっています。そこと悪口の関係も中々考察しがいがあるので、いつか言語化してやろうと思っています。
 

太宰治太宰治全集5』ちくま文庫

 持っている太宰の全集の中で唯一実家にあったやつです。なぜ実家に置いておいたかというと、中に収録されている話の中で「水仙」と「正義と微笑」しか面白くないからです。でも、先日唐突に「水仙」を読みたくなったけど手元になく歯痒い思いをしたので持って帰ろうと思います。

 収録されている中に『待つ』という短編があるのですが、これは思い出深いです。大学三年の頃の授業でこの『待つ』を研究発表する機会があったため、めちゃくちゃ読み込んだからです。最初読んだ時は何とも思わなかったのですが、今振り返って読んでみると胸を打たれるものがあります。この作品は、戦争という時流に流され自身の作品が評価されない時代が続いた太宰が、いつの日にか世の中が変わって自分が認められる日が来ればいい、そんな世の中の到来を望んでいる、という太宰の気持ちが表れた作品とされています。私はこの「世の中の変貌への希望」というのが後の『斜陽』や『おさん』などにあらわれる革命思想へと繋がってくるのではないかと睨んでいるのですが、定かではありません。それは置いておくにしても、この短編はとても良いと思います。何かにもがき苦しみながらも、それでも希望を捨てずに明日へ未来へ思いを馳せる…………。『待つ』を研究する中で、「待っている」というのは受動的な選択に見えて、「待っている」という行動を選択している、つまり能動的な行動なのだという論文なんかも見かけたりしましたが、まさにその通りかもしれません。皆人生に苦しみながらも、希望を捨てずに「いつか」を願いながら日々生きているのだから。

 あと、久しぶりに「正義と微笑」を見たら、「人間は、十六歳とニ十歳までの間にその人格が作られると、ルソオだか誰だか言っていたそうだが」という一節があり、普通にクリティカルヒットして死にました。なぜなら、先日久しぶりに中高の同窓会に行ったのですが、そこでちょうど高校できちんとした人生を送れていなかったことが今現在にも影響を及ぼしていることを痛烈に自覚させられおっぱっぴー状態だったからです。あともう一つ言うと、「お道化を演じて、人に可愛がられる、あの淋しさ、たまらない。空虚だ。人間は、もっと真面目に生きなければならぬものである。」も身に覚えがありすぎて「あ~~~~~~~~~~~~~」と心の中で叫んでました。高校の頃は友達が多く好かれていたのですが、それらは全部虚構の自分への思慕だと気づいた時から私の人生は始まったと言っても過言ではありません。皆さんも演じすぎには注意です。まじで。

 

芥川龍之介或阿呆の一生侏儒の言葉』角川文庫

 これまた作品集です。収録されている作品の中では、『歯車』『或阿呆の一生』『侏儒の言葉』などが好きです。ただ、『侏儒の言葉』は難しいので「おっもしれーーー」と刺さるものもあれば、「わっかんねーーー」となるやつもあります。というか七割くらい「わっかんねーーー」に分類されます。
 私は私小説チックなものが好きなので『歯車』『或阿呆の一生』辺りは好きなのですが、今読んでみたらびっくりするくらいつまらなくてびっくりしてしまいました。二つの意味でびっくりです。この二作品は大学1,2年生の頃にハマっていたのですがコロナで病んでたからハマっていたのかもしれませんね。

 

プルースト失われた時を求めて岩波文庫

 何も読んでいません。三年の頃に取ってた仏文の授業で「これは授業で使うので買ってください~~~」と言われたので仕方なく買ったのですが、後日先生から「二冊買ってもらったけど一冊だけで十分だった~~~~」と言われぶん殴ろうかと思った思い出があります。金返せよ。
 まあそれは置いておくにしても、基本的に私は外国文学が好きではありません。じゃあ仏文の授業なんか取るなよと言われそうですが、シラバスに載ってるのを見るとなんか面白そうに見えて受講しちゃっただけです。外国文学の何がいけないって、翻訳で読む場合、言語の違いによる「日本語で書かれてるけど日本語じゃない」という感覚が凄まじいノイズになるからです。これは仕方のないことなのですが、日本語で書かれていないものを日本語で書き直そうとすると、どうしても日本語的でない語彙の使いまわしや表現になりますよね? 私はそれが本当に嫌いなんです。だから外国の作家の作品は意図的に避けています。例外的に、尹東柱という詩人の作品は好んで読みますが。

 

江戸川乱歩人間椅子角川ホラー文庫

 私が近現代の作家にハマるきっかけとなった本です。特に表題作の『人間椅子』は本当に傑作です。初めて本を読んで「恐怖」を感じました。心臓がバクバクするような、手が震えるような、心の底から怖いと思う体験をまさか本でするとは思わなかったです。それまでにも映像作品に恐怖を感じることはありましたが、あれは音や光や演出など、視覚や聴覚をフルに使って感情を刺激するのでまだ分かるのですが、本は文字情報しかないのでそこまでの恐ろしさを表現しえないだろうと思っていたら、乱歩は普通にそれをしてきました。末恐ろしいですね。ほんっっっっっとうに乱歩は恐怖を書き立てる描写が上手いです。あとは奇怪な世界観を表現する力もずば抜けています。乱歩が好きだという方はぜひお友達になりましょう。

 

おわり

今回はなんか実家にあった本を適当に数冊読んで感想を述べてみました。しかし皆さんお気づきかもしれませんが、上記に挙げた大体の本が「綺麗」です。そうです。実はちゃんと本を読みこんでいないのです。2024年はもうちょっと頑張って本読みたいですね。というか卒論あるからちゃんと読まないといけないのか。

*1:記事執筆は1月1日。おめでたいと言いたいところだが、地震のせいで何もめでたくなくなってしまった