名古屋大学読書サークル

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地球の反対側の文学

こんにちは。昨日大阪から帰ってきてクタクタのゲダです。

名古屋大学読書サークルを代表するヒスパニックとして、日本とはちょうど地球の反対側:南アメリカの文学(以下ラテンアメリカ文学)の作品を紹介したいと思います。

僕は母がチリ人であるため、家にはラテンアメリカ文学の本が多くありました。高校3年になってからそのいくつかを読むようになり、その現実と非現実を彷徨うような感覚になる作品群の虜になってしまいました。

家にあったのは1960-70年代のいわゆるラテンアメリカ文学ブームがあったときによく読まれていた作者たちの作品で、今回はその作家たちのうち特に好きな三人の本を紹介します。

 

ボルヘス

伝奇集
伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

この本のスペイン語版と英語版が実家にあった為、ラテンアメリカ文学の中でも初めて読んだのがこちらの伝奇集です。ボルヘスは主に短編作家として活動していましたが、彼は元々詩を書いていたこともあり、短編は最長のものでも高々十数ぺージにしか及びません。

彼の題材とするものはしばしば形至上学的・神話的で、「無限」や「対称性」、時間や現実の倒錯のような内容が特徴です。

彼の物語は視覚的に豊かである上に、その抽象性や幾何学性による世界のねじ曲げ方が面白く、読んでいると現実世界とは異なるルールをもつ形至上学的な世界をのぞいているようで目眩がします。

それぞれの物語の短さに対して内容が濃いため、少し読みにくい部分はありますが、粘って読んでいくとイメージがはっきりとしてきて、そのイメージの美しさに魅了されること間違いないと思います。

 

ガルシア・マルケス

百年の孤独 
百年の孤独

百年の孤独

 

ラテンアメリカ文学代表的存在とよく言われるガルシア・マルケスの作品:「100年の孤独」です。

ノーベル文学賞をとられた作家であり、名前を知っている人も多いのではないかと思います。マルケスは初めてこの本の着想を17歳に得てから、構想がまとまるまで20年、そこから家にこもって18ヶ月で書き上げてしまっています。

僕は受験生の時に初めて読んだのですが、体力を要する作品でした(笑)。

その最も大きな理由が、人物名のややこしさです。僕が読んだものでは本の最初に家系図が載っていたのですが、ブエンディア家と呼ばれる三世代分の特に男性の名前に重複するものが非常に多く、主要な登場人物の中でアウレリャノという名前の人物は四人、ホセ・アルカディオも四人という具合で、読んでいる途中に何度も家系図を見返して読んでいた記憶があります。

物語は架空の都市マコンドを舞台に、そこに住むブエンディア家の6世代(100年)を追ったものです。本の構成はエピソードの連続のようなもので、それぞれのエピソードはブエンディア家の誰かを中心に展開されていきます。エピソードごとの特色が強く、中には錬金術の話や神話的な話、下世話な話など、様々なものがあります。

マルケスは「マジック・リアリズム」と呼ばれる、淡々とした「リアル」な描写の中に自然に非現実的な要素が入ってくる物語の手法を使うことで有名で、この本でもなんとも不思議な現実と非現実の自然な共存を味わうことができます。

 

フリオ・コルタサル

遊戯の終わり 
遊戯の終わり (岩波文庫)

遊戯の終わり (岩波文庫)

 

最後に自分がラテンアメリカ文学の中でも一番好きな作者、コルタサルの本を紹介します。

「遊戯の終わり」はそれぞれのエピソードが比較的短い短編集で、どれもコルタサル特有のドライなユーモアと瞬時に引き込まれ振り回されるような語りが存分に味わえる作品です。収録されている短編はどれもリアルなシーンから始まり、だんだんと非現実が現実を侵食していき、気付いたら非現実の中に放り出されてしまう感覚が独特で、クセになります。

 

秘密の武器
秘密の武器 (岩波文庫)

秘密の武器 (岩波文庫)

  

「秘密の武器」は遊戯の終わりよりもリアルに即した物語が多いですが、その中で現実の奇妙な感覚を違和感なく綴っているところがコルタサルらしい本です。また、それぞれの話が比較的長く(50ページ前後)、それぞれがまるで一つの小説のようなウェイトを持っています。全て読み終わった時には数冊分長編小説を読んだような気分になっていたのが面白かったです。

コルタサルの本は今回紹介している三人の中でも一番読みやすく、一番爽快感あるものだと思いますので、ぜひ読んでみてください。

 

 

文:ゲダ