名古屋大学読書サークル

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小説の神様はどこにいる?

おはようございます、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい。

 

七月も中旬。

初夏も終わり間近。いよいよ盛夏が日本に訪れようとしていますね。

 

暑いだけと唸るのも結構。

海に行くぞと意気込むのも結構。

エアコンの効いた部屋で読書に没頭するのも結構。

 

今や部屋にいるだけで、世界と繋がれる便利な世の中になってきました。

夏の楽しみ方も千差万別、十人十色になりそうです。

 

今日紹介する本はこちら、『小説の神様』(相沢沙呼講談社タイガ)です。

小説って何のために読むのだろう? 書くのだろう?

そんなことを考えたことはありますか?

 

小説を分類する上で二つの区切りがありますよね。

純文学とエンタメ小説。

ただ、元々小説がこのように区切られていたわけではないのです。

かつてエンタメ小説がわんさか出て来た際に、危機意識をもった文壇側からの要請として便宜的にこの二つが作られた、ということなんですね。

 

だからと言って、この区切りには意味がないわけではないのです。

小説が持っている性格の内、2つをしっかりと言い当てています。

つまり、文字芸術としての側面と、娯楽としての側面です。

今文学として時代を超えているものは、そのどちらもに長けていることが多いのですが、これらの側面は「売れるものを書くか」「書きたいものを書くか」という小説家のスタンスに繋がってゆくのですね。

 

小説の神様』というのは、少し前に『medium』で本屋大賞を獲得した大作家相沢先生が「小説っていったい何のために書くのだろう?」という問題を登場人物たちの間で昇華させたものだ、と僕は考えています。

今大ヒットしているもののパターンを踏襲し、ひたすらビジネス的な観点から執筆するのか、はたまたその人の深奥から湧いてくる言葉がそのままに原稿用紙に投影されてゆくのか?

 

読者は「読む」ことに特化するしかないわけですが、この小説は作者側が抱える苦悩をまっすぐにこちらに伝えてくれます。

面白いのは勿論、この本出会う以前以後で読書の仕方ががらっと変わる人も出て来るのではないでしょうか?

決して損はしませんよ。小説の神様に会いにゆきましょう。