名古屋大学読書サークル

サークルメンバーがゆるりと記事を書くスペースです

最近読んだ本の紹介

はじめまして。今回初めて記事を書かせていただきます、katoと申します。これからよろしくお願いいたします。

 

ここ数日はかなり気温が高く、外に出るのが嫌になるような気候でしたね。私はまだ夏服を用意していなかったので、暑さで溶かされるところでした。早く夏服を準備したいのですが、中間試験が迫っているせいで土日に買いに行けない…なんて状況です。皆さんはどうだったでしょうか。

 

今回は、少し前の読書会でテーマになっていた星新一の作品を最近読んだので、それについて書こうと思います。

 

 

様々なジャンルの作品50編からなるショートショート集です。一つ一つの物語がとても簡潔で、最短で3ページ、長くても10ページほどという驚きの短さで書かれています。

 

まず、全体的な印象として、文章が限界まで削られているというのがあります。一つ一つがとても短いので当然といえば当然ですが、書かなくても伝わることや予測できるようなことはすべて省かれています。そのため、読んでいる最中も常に展開を予測していないと唐突に終わって唖然とする、なんてことが結構あります。私自身、読んでいる最中に困惑して読み直したことが何回もありました。ただそこにこそ、この本の面白さがあるとも思います。

 

続いて、特に印象に残っているものをいくつか紹介したいと思います。(話が短すぎる関係で、ネタバレをふくむ可能性があるので注意してください。)

 

①ボッコちゃん

あらすじ:時間が余っていたバーのマスターは趣味でとても美人なロボット(ボッコちゃん)を作ってバーに置いた。すると、たちまち人気になり立ちよる客が増えた。そのうちの一人であった若者がある日…

タイトルにもなっている作品です。にもかかわらず、私には結局何が書きたかったのか全く分からなかった作品でもあります。展開があまりにも唐突で、最初に読んだときは思わず、「え?」と声に出たほどです。誰かわかる人がいたらぜひ教えてほしいです。

 

生活維持省

あらすじ:未来の日本の物語。今と違って、そこには一切の犯罪も交通事故も病気もなく、人々はみな自分がやりたいことをして思うがままに暮らしている。そんな日本を保つために生活維持省がしている仕事は…

私が一番好きな物語です。特に、主人公の青年がいった一言がとても印象に残っています。私がもし主人公だったらこの言葉は絶対に出ないだろうなと思い、平和な日本に生きるこの青年ならではの価値観なのだろうと感じました。ただ、生活維持省に勤務しているうちに少しずつ価値観が歪んで、洗脳のような状態に陥ってしまっているようにも感じました。誰もが幸福で平和な世界はやはり実現できないのではないかな、と思ってしまいました。

 

書いている間に自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたので、このあたりで終わろうと思います。(本を読むのは好きなのに、なぜここまで文章を書くのが下手なのか…)次回までにもう少しまともな文が書けるように精進します。

 

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

(文責:kato)

最近読んだ本紹介

こんにちは、くろやです。

ネタが切れ、何を書こうかと考えたのですが、暑さと眠気におされなにもいい案が出なかったため、今回は最近読んで印象に残った本についてつらつらと書いてみようと思います。

 

麻耶雄嵩『メルカトルかく語りき』

 

 超人的推理能力を持つが性格に難ありの銘探偵メルカトル鮎と、彼に振り回されているだけに見えて解決した事件をちゃっかり飯の種にするしたたかさをもつ作家美袋三条のコンビが事件を解決(?)してゆく短編集。

印象的だったのは、探偵のあまりの倫理観の無さである。自らの利益や楽しみのためならば、せっかくたどり着いた真実を公表しないばかりか、捻じ曲げることも辞さない。被害者どころか加害者までもがなんだか不憫に思えてくるほどの自由人っぷりである。

しかも、驚くべきことに、この倫理観の欠如はワトソン役の相棒にまで及んでいる。相棒美袋は探偵メルカトルの奇行に一応苦言は呈しているが、彼は同時に「小説の種になるから」「面倒くさいから」といった理由でそれを容認しているのである。

思い描いていた探偵コンビ像から大きく外れているため、読んだ当初は驚きが勝ったものの、読み進めるにつれ二人の予想外の振る舞いがくせになってしまった。

ちょっと変わった推理小説を読んでみたい人におすすめである。

 

 

村上龍『料理小説集』

 

 家にいるのにまともなご飯を作れない孫を案じる祖母から「少しは料理の勉強でもしなさい」というありがたい言葉と共に贈られた一冊。

料理の手順の教本とするように与えてくれたようだが、実際には製作過程ではなくその料理を「食べた」時のエピソードに焦点が置かれていたため、あまり料理の参考にはならなかった。

ただ、世界中を飛び回る映像作家という主人公の設定からか登場する料理はとても国際色豊かで、このような時期ながら世界中を旅しつつ現地の料理を楽しんでいるような気分になれた。

さらに、料理に仮託されたエピソードは家族とのこと、故郷のこと、友人付き合い、恋愛といった多様なジャンルにわたり、中には身につまされるようなはなしもあった。

異国の料理に触れてみたい人、また切ないエピソードが読みたい人におすすめ。

 

 

藤本タツキ『チェーンソーマン』

 

悪魔とデビルハンターとの闘いを描いた物語。

 登場人物の一人であるマキマさんのビジュアルに惹かれ、去年の夏ごろからコツコツ集めて先月やっと9巻までたどりついたものの、あまりの展開に中々次の巻を手に取る勇気が出ない。せめてアニメが始まる前までには追い付きたい。

あまりグロテスクなシーンに抵抗がない人、アクション漫画が好きな人におすすめ。

 

以上です。

面白くもないただの紹介になってしまい申し訳ないです...。

もし興味を持ってもらえた本がありましたら、ぜひ手に取ってみて頂けると嬉しいです。

それでは、お粗末様でした。

 

(文責:くろや)

本は色んな感情に出会える


 初めて投稿させていただきます、佐伯と申します。この佐伯という名前は本名ではありません。中学時代から(長すぎる)かっこいいな〜と勝手に憧れていた名字なので使いたいと思います。みなさまどうぞよろしくお願いいたします。


 さて、みなさんは最近どのようにお過ごしでしょうか?私は「PRODUCE101 JAPAN SEASON2」というオーディション番組にどハマりしており、食い入るように毎週の放送を楽しみにしております。GYAOアプリにて毎週木曜21時から放送中ですので「何か熱中できるものないかな〜」という方はぜひご覧ください。あなたの「推し」が見つかりますように。


 自分語りはここまでにしまして、最近読んだ本を紹介します。

朝井リョウさんの『スペードの3』です。

朝井リョウさんといえば、『何者』や『桐島、部活やめるってよ』などが有名ですが、どの作品でも共通して人間の嫌な感情を描くのがとても上手い作家さんだと思っています。


https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE3-%E6%9C%9D%E4%BA%95-%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%82%A6/dp/4062188503


 この『スペードの3』は、ミュージカル女優(宝塚の方々をイメージされていると思います)のファンクラブの代表を務める美知代という女性が主人公です。

最初はファンクラブのメンバーから一目置かれていた彼女ですが、学生時代の旧友がファンクラブに入会したことから生活が一変していきます。

 色々な視点からお話が描かれるのですが、誰の境遇にも当てはまらないのに感情描写は自分の経験と重なることが多く、「朝井リョウ、すげ〜〜〜!」の気持ちで読み終えました。


 読後は、どんな感情を抱えていてもいいのかもしれない、と肯定してくれるような気がしました。主観としては、サクサク読めて心の隅に残るような作品だと感じました。


 最後までお読みいただきありがとうございました!稚拙な文章で申し訳ございません。


 ではまた次のブログでお会いできると嬉しいです〜!


佐伯

”ときめき”、たりてますか?

はじめまして。今回初めてブログを担当させていただきます、うしおと申します。

 

・・・ところで、今年は梅雨入りが早かったこともあって最早春が終わってしまったのではないかと思う今日この頃です。四季の中で二番目に春を好む私にとっては何とも残念なことです。春の柔らかい日差しが好きです。ピスタチオグリーンやパステルカラーといった春色も好きです。ただ春、といえば出会いの季節でもありますよね・・私のようなコミュ障民にとってはしんどい季節でもあります。今年はコロナのせいで出会いの場は少なかったと言い訳できるのが救いですがね・・・。えっ、「私には出会いありましたけど?」ですか?そんな幸運なあなたはここでお帰りください!今回は、私と同じく(小声)運が回ってこなかった方に小説経由のときめきをお届けします!

 

「お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか」

「咬みません。躾のできたよい子です」

 

読書がすきになったのはつい最近でして、それまではむしろ苦手だった私が、計三回は読み返している大好きな一冊、「植物図鑑」の一節です。

 

植物図鑑

植物図鑑

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

ご存じの方も多いかと思いますが簡単にあらすじを紹介すると、家事が苦手なOLさやかが自宅前で行き倒れていた青年、樹(※けっこう男前byさやか)を酔いに任せて思わず拾ってしまうところから始まる恋愛小説です。初読の私の率直な感想は「めちゃめちゃ上質な少女漫画を読んでるみたい!」でした。嫉妬しているけど素直になれなくて二人の間にすれ違いが生じたり、読者からすると完全に両思いなのにお互い言い出せないもどかしさだったり、少女漫画の定番がたくさん含まれているのですが、絵がない分、描写が非常に細やかでドキドキするんです。終始にやけが止まりません(笑)。上の台詞は字面だけ見ると、ちょっとお巡りさんを呼びたくなりますが、そこは小説マジックですね~、歯の浮くような台詞も設定も、絵がないことと文学的表現が使われていることで中和されているのかとってもロマンチックな仕上がりです。少女漫画でこの設定だったら多分笑ってしまって入り込めないと思いますし、実際、実写化映画はこっぱずかしすぎて見てられなかったです。

 

植物図鑑 運命の恋、ひろいました

植物図鑑 運命の恋、ひろいました

  • 発売日: 2016/11/23
  • メディア: Prime Video
 

 

 樹は細やかな気遣いができて、家事全般得意で(飯テロ半端ないです)、しっかり者だけど甘え上手で、余計なことは口にしない、そして褒め上手でストレートな愛情表現をさらっとしてくれます・・・完璧ですね!天然タラシです! すっごい美形な訳でもお金持ちな訳でもないけれど、社会進出する女性が当たり前になりつつある現代ではむしろ樹のような専業主夫タイプが最も需要が高いと思われます。恋愛要素もさることながら作中に登場する季節毎の草花や樹の作る料理の数々、そして小説ならではの伏線の忍ばせ方やほのぼのとした甘さでは終わらない大胆な展開でも読者を楽しませてくれる素晴らしい小説となっております。

 

漫画大好きで数多の少女漫画を読んできた私が、最もときめいた作品がこの「植物図鑑」でした。現実で出会いがなくてしんどい方、恋人に不満がある方、ぜひ小説でときめきを補給してみてください!

 

稚拙な文章を読んでくださりありがとうございました!それでは、またいつか。

P.S.仮にあなたのおうちの前にイケメンor美女が転がっていて、いくら拾いたい衝動に駆られても拾わないでくださいね。現実では十中八九事件に巻き込まれますからおとなしく警察に引き渡してください。悲しいかな、ファンタジーはファンタジーです。

 

書いた人 うしお

 

ハートフィールドの影を追って

デレク・ハートフィールドという小説家を知っているだろうか?恐らくだが、名前を聞いたことすらないという人の方が多いのではないかと思う。

 

デレク・ハートフィールドオハイオ出身の小説家である。友達を特に作ることもなく、彼は少年時代をパルプマガジンを読み漁り、母の手製のクッキーを食べるといった具合にして過ごした。ハイスクールを卒業後は郵便局に勤めたりなどしたが特に長続きもせず、気づけば彼は小説家になっていた。そしてタイプライターで冒険小説や怪奇小説を年に何万字も書き殴り続けて生涯を過ごし、その果てに彼はエンパイアステートビルから飛び降りて、自らの手でその不毛な生涯に幕をおろした。デレク・ハートフィールドとはそういう人である。

 

彼の作品は、正直なことを言うと、例えば文学史的にはそこまで有名なわけではない。こう言ってしまうと悪いけれど、彼の作品はストーリーもテーマもそこまで優れたものではない。だからそれは当然のことであると僕も思う。

 

しかし僕は彼の小説が好きだ。彼の文章がたまらなく好きだ。彼の作品を読んでいる中で、何かどうしようもない欠点を発見することも多々あるし、それについて一日中批判し続けることもできる。けれど同時に、彼の作品の良さ、そして彼という人間の偉大さについて、僕は三日三晩語り続けることができると思う。

 

僕の中で彼は固有の位置を占めている。僕は彼から人生に関する殆ど多くの学んだ。好きな作家を問われたら僕はただ一言「ハートフィールド」と答えるだろう。僕にとって彼はそういう作家である。

 

 

 

僕が彼を初めて知ったのは村上春樹の短編小説「風の歌を聴け」を読んだ時のことである。

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https://www.amazon.co.jp/dp/B01G6MF4J2

 

風の歌を聴け」は村上春樹のデビュー作である。今では日本を代表する存在となったこの作家は、若き日に書いたこの小説において、僕がこの文の冒頭で見せた以上の熱量をもってハートフィールドについて言及している。もちろんハートフィールドへの言及のみによって小説を構成している、というようなことはない。言及されている部分は全体の一割程度にすぎない。そしてその一割の部分に関しても、パッと見て分かるような荒々しい熱さでもって書かれているわけではない。

 

そもそもこの小説自体、体育会系と呼ばれるような「熱さ」から、遠く離れた場所にある小説である。寧ろ冷たく乾いていてあらゆるものへの気怠さに満ちている。決して、例えばバンドボーカルの主人公が武道館を目指して頑張り、小説の最後で「風の歌を聴いてくれ〜!!」と熱唱しまくった挙句、「俺たちの風はまだまだ吹き始めたばかりだ」などと言い出すような小説などではない。

 

これは、ある一夏を主人公の「僕」が特に何をするでもなく日々を過ごす、という話である。やることといえば「ジェイズ・バー」で相棒の「鼠」と共にひたすらにビールを煽ること、飲み過ぎてゲロを吐くこと、そして時々女の子と寝たりすること、ただそれだけ。なんの感慨もなんの教訓も、この小説には存在しない。

 

この小説の中で「僕」は度々ハートフィールドについて言及する。ある時は彼の不毛さを、ある時は彼の人生観を、ある時は彼のある小説のあらすじを、その何もない日々の中で、寧ろ「何もない」によって豊かに満たされている日々の中で、「僕」はぽつりぽつりと語っていく。

 

最初にこの小説を読んだ時、実は僕は「デレク・ハートフィールド」という単語が特に気にならなかった。「そういう作家がいるんだな」という程度の感想しか僕は抱かなかった。先ほども書いたように、言及部分は全体の一割にも満たなかったからだ。そして何よりも「村上春樹という作家はなんていい小説を書くんだろう」という感想の方が僕にとっては大きかったからだ。

 

僕にとって「風の歌を聴け」は、初めて読んだ村上春樹の小説だった。この小説はその時点の僕にとって、今まで読んだどの小説とも全く異なっていた。村上春樹、という小説家がなにやら有名らしい、ということは知っていた。けれど実際に彼の小説を読んだことはなかった。しかしある時、よく行く本屋の片隅で埃を被っていたこの一冊の小説に僕は何故だか目が留まった。そして気づいた時には僕はこれをもってレジへと並んでいた。なにかしらの予感が僕にはあった。そしてその予感はまさしく的中した。「風の歌を聴け」は素晴らしい小説だった。

 

 

風の歌を聴け」を読んで以来、僕は村上春樹の小説をよく読むようになった。とは言っても僕は同じ本を繰り返し読むというタイプの読書家だったので、手当たり次第に村上春樹作品を入手して読む、というようなことをしたわけではなかった。いくつかの彼の作品を、僕は繰り返し繰り返し味わうように読んだ。彼の作品は何度読んでも面白さが衰えることはなかった。寧ろ読めば読むほどに新しいものを僕はそこに発見した。「風の歌を聴け」を、僕はつまりそのようにして繰り返して読んだのだった。

 

そして「風の歌を聴け」何度か読み返すうちに一つの疑念が産まれた。それは、この小説は寧ろハートフィールドについての小説なのではないのかということだ。全体の一割にも満たないその部分こそが、この小説の核なのではないか、小さく静かな熱がそこには込められているのではないか、そういう、ある種突拍子もないような考えが次第に大きくなっていった。そう、実はそれは単なる小説を彩るための要素の一つなどではなく、それこそがこの小説において村上春樹が書きたかったことなのである。本当に一番語りたいことについて作家は多く書かないものである。寧ろ少ない文章の中で、その密度を上げることによって作家はそれを語るのである。そして村上春樹デレク・ハートフィールドについてそのような方法で語っていたのである。

 

そのことに気がついた時から、僕は「デレク・ハートフィールド」という正体不明の作家に、完全に心を奪われてしまった。彼について、「風の歌を聴け」で紹介されている以上のことが知りたくてどうしようもしていられなくなった。そうして僕は、彼の小説を読んでみようと決意したのだった。

 

しかしそこからが大変だった。

 

前述の通り、彼の作品はそこまで有名なわけではない。だから彼の書いた本の全ては既に絶版になっており、彼の小説を手に入れるのは今現在では殆ど不可能に近い。彼の小説を読むために、僕は多くの時間と手間を割いた。まず僕は図書館という図書館をしらみ潰しに探した。しかし彼の本は見つからなかった。次に僕はインターネットの海へと飛び込み、彼の名前を探した。しかし殆ど何も得ることはできなかった。その時点で僕はどうしようもなく絶望していたが、それでも諦めず探し続けるうちに、ある時街の外れの古本屋で、ようやく一冊だけだが彼の短篇集を手に入れ読むことができた。

 

そこには「風の歌を聴け」を読んだ時に想像していた倍以上の素晴らしい小説が収録されていた。僕はそれを「生涯で読んだ一番の小説」として本棚の一番良いところに置くことにしたのだった。

 

その短編集がどんなだったかを、僕はここで具体的に語ることはしない。ただ、僕がその小説を読んで大いに感動したということを今までの文章から多少なりとも理解してもらえると嬉しく思う。僕は今でもその短編集をことあるごとに読み返し、そしてその度に「なんて素晴らしいんだろう」と思うのである。そしてその感動を誰かと共有したいと思ったりもする。

 

けれどもやはり、僕は彼の小説について具体的に語り、伝えるということをしたりはしない。何かを伝えるということは、それ以外の全てについて何も伝えないということだからだ。僕は彼を尊敬している。僕は彼に対して真摯的でありたい。だから僕は沈黙をもって彼の小説の具体について語ることしかできないのだ。だからこの文を読んだ人達には申し訳ないが、彼について知りたい場合は村上春樹の処女作「風の歌を聴け」を読むか、日本中の古本屋を一軒一軒探すしか方法はないかと思われる。

 

しかし一つだけ言っておかねばならないのは、僕が彼の短編集の一冊を見つけた古本屋はもうこの世に存在しないということだ。

 

ある地方を旅行しているときに見つけたその古本屋には、実は他にもハートフィールドの小説が売られていた。彼の最大のヒット作である「冒険児ウォルド」に関しては、その全巻が揃っていたりもした。しかし僕はその時あまりお金を持っていなかったので、結果として一冊の短編集しか買うことができなかった。店主のおじさんは「また次来た時によってみてほしい」と優しく声をかけてくれたが、一年後に、僕が再び、今度は大金を握りしめてその地を訪れた時、かつて古本屋があったその場所には小さなコンビニエンスストアができていた。仕方なく僕はそのコンビニエンスストアで缶ビールを大量に購入し、その夜取っていた宿で吐くまでそれを飲み続けた。

 

 

僕は古本屋を巡るのが趣味だった。デレク・ハートフィールドに僕が出会うずっと前から、僕は僕の彼女と一緒によく古本屋を巡ったりしていた。それは今でも変わっていない。しかしデレク・ハートフィールドを知ってからというもの、僕にとってそれは単なる趣味以上の意味合いを持つようになった。

 

旅行に行った時に、以前は「古本屋があったなら」そこに入るという感じだったが、今では必ずその地の古本屋ほとんど全ての古本屋へと足を運ぶようになった。だから旅行の日程の半分は古本屋を巡ることに費やされる。「半分に日程を割ってそれぞれ好きなことをした方がいいんだ」というので僕が彼女を説得したのだ。そして訪れた古本屋で、僕と同じように僕の彼女も本が好きなのだが、そんな彼女が呆れるくらい、僕は棚をくまなく見て、そこにデレク・ハートフィールドの名前を探す。しかしその名前を僕は見つけることができない。そして何も買うことなく店を出て、次の古本屋へと足を向ける。それを何度も繰り返す。しかし結局僕は何も得ることができない。僕は彼女の小言を聞きながらひたすらにあの日と同じようにビールを吐くまで飲み続ける。

 

 

そういうことが、もう何年も続いている。「いい加減に諦めたら?」と僕の彼女は言う。「それよりも美味しい料理と綺麗な風景と可愛い雑貨に興味を向けてほしい」のだと。そういう考えが世の中に存在するということを僕は理解できなくもない。

 

しかしそれが一体なんだというのだろう?美味しい料理、綺麗な風景、可愛い雑貨。そんなものの中に、真理など存在しない。あるのは「何もない」すら存在しない、ある種の空虚さだけだと僕は思う。結局のところ、僕に必要なのはそういったくだらない様々ではなく、デレク・ハートフィールドの書いた一編の小説だけなのである。それだけが真実であってそれ以外は特にどうだっていいことなのだ。だから僕は今日も街の片隅に、郵便受けの中に、潰れかけの古本屋に、デレク・ハートフィールドの名前を探すのだ。

 

決して捕まえることのできないハートフィールドの影を、僕は永遠に追い続けるだろう。彼がその生涯をかけて、不毛な争いに自身の全てを捧げたように。

 

書いた人 梶

 

 

 

 

 

名言集の楽しさ

今回初めてブログを書くのですが、最近はあまり本を読めていないということもあり、今回は私が何度も何度も読み返している名言集について少し話そうと思います。

 

私が良く読み返しているのは、寺山修司さんの「ポケットに名言を」という名言集です。私はいくつか名言集や格言集を読んだことはあるのですが、何度も読み返しているのはこの本だけでした。

 

この名言集だけを何度も読み返している理由としては、「名言」の範囲がとても広いことがあります。「歴史上の偉人の有名な言葉」に留まらず、歌謡曲の一節や名作文学の登場人物の台詞、映画の台詞、詩の一節など、様々なものを「名言」として扱い、並べて記しています。そのために、堅苦しい感じが全くなく、とても気軽に読むことができます。

 

気軽に読める本だからか、私はこの本を「バズったツイート集」のように読んでいます。これは別に名言がだれでも言える言葉であるかのように捉えているわけではありません。思わず「いいね」を押したくなるような言葉が多く、読んでいるだけでとても楽しいからです。

 


というわけで書くこともなくなったので、私の好きな名言をいくつか紹介したいと思います。


『一杯の茶のためには、世界など滅びていい。』
ドストエフスキーの「地下生活者の手記」という小説内の言葉です。ドストエフスキー自身も、シベリアに流刑されたときに宿場の主が出してくれた温かい紅茶をむさぼるように飲んだという話が残っているので、そういった経験から出てきた言葉なのかもしれません。


『崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。』
三島由紀夫の「禁色」という小説内の言葉です。三島由紀夫は「現代では」としていますが、いつの世でも当てはまるんだろうなと思いました。


『感傷とは、シニシズムの銀行休業日にすぎない。』
オスカー・ワイルドの「獄中記」という小説内の言葉です。オスカーは、感傷主義は正反対なシニシズムと根本的には同じと捉えており、感傷主義に対して批判的な態度でした。他にもオスカーは感傷主義者のことを「ある感情をもつことを願いながらそれに対して支払いを行わない」者としており、私もこの言葉を知り、確かに「感傷」で終わってしまうのであれば、全てに対し冷淡なシニシズムとあまり変わらないなと思いました。
(シニシズムとは、冷笑主義ともいい、万物に対し冷笑的にふるまう態度のことをいいます。)

 


最後に私たち学生にとって耳が痛いであろう言葉を一つ紹介して終わろうと思います。

『精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ』(三島由紀夫美徳のよろめき」)

 

書いた人: fumi

ひとことレポート「おばあちゃんの怖い話」

おばあちゃんの怖い話

著者:犬木加奈子

ジャンル:少女漫画、ホラー

おばあちゃんの怖い話

おばあちゃんの怖い話

 

おすすめ度★★★☆☆

狂気度★★★★★

 

読み始めたきっかけ:15年くらい前に歯医者の待ち時間に読み、老人の額が開き異形の怪物に変化するシーン、唐突に少女の人差し指が包丁で叩き切られるシーンでトラウマになり、以後この漫画を探していた。数年前に題名を特定し、今回GW暇すぎて電子で購入。

 

ひとこと:トラウマ克服できませんでした。三編収録されていて、最初の二つはまあ大丈夫だったんですが、最後の「よい子の街」という題の中編がトチ狂ってました。今読んでも全然怖い。

やっぱり少女向けホラー漫画はヤバい作品多くて好きです。

  

かいたひと:榊原