名古屋大学読書サークル

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名言集の楽しさ

今回初めてブログを書くのですが、最近はあまり本を読めていないということもあり、今回は私が何度も何度も読み返している名言集について少し話そうと思います。

 

私が良く読み返しているのは、寺山修司さんの「ポケットに名言を」という名言集です。私はいくつか名言集や格言集を読んだことはあるのですが、何度も読み返しているのはこの本だけでした。

 

この名言集だけを何度も読み返している理由としては、「名言」の範囲がとても広いことがあります。「歴史上の偉人の有名な言葉」に留まらず、歌謡曲の一節や名作文学の登場人物の台詞、映画の台詞、詩の一節など、様々なものを「名言」として扱い、並べて記しています。そのために、堅苦しい感じが全くなく、とても気軽に読むことができます。

 

気軽に読める本だからか、私はこの本を「バズったツイート集」のように読んでいます。これは別に名言がだれでも言える言葉であるかのように捉えているわけではありません。思わず「いいね」を押したくなるような言葉が多く、読んでいるだけでとても楽しいからです。

 


というわけで書くこともなくなったので、私の好きな名言をいくつか紹介したいと思います。


『一杯の茶のためには、世界など滅びていい。』
ドストエフスキーの「地下生活者の手記」という小説内の言葉です。ドストエフスキー自身も、シベリアに流刑されたときに宿場の主が出してくれた温かい紅茶をむさぼるように飲んだという話が残っているので、そういった経験から出てきた言葉なのかもしれません。


『崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。』
三島由紀夫の「禁色」という小説内の言葉です。三島由紀夫は「現代では」としていますが、いつの世でも当てはまるんだろうなと思いました。


『感傷とは、シニシズムの銀行休業日にすぎない。』
オスカー・ワイルドの「獄中記」という小説内の言葉です。オスカーは、感傷主義は正反対なシニシズムと根本的には同じと捉えており、感傷主義に対して批判的な態度でした。他にもオスカーは感傷主義者のことを「ある感情をもつことを願いながらそれに対して支払いを行わない」者としており、私もこの言葉を知り、確かに「感傷」で終わってしまうのであれば、全てに対し冷淡なシニシズムとあまり変わらないなと思いました。
(シニシズムとは、冷笑主義ともいい、万物に対し冷笑的にふるまう態度のことをいいます。)

 


最後に私たち学生にとって耳が痛いであろう言葉を一つ紹介して終わろうと思います。

『精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ』(三島由紀夫美徳のよろめき」)

 

書いた人: fumi