名古屋大学読書サークル

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漫画によく出てくるアレ~主人公が本気をいきなり出せるのはなぜか?

 みなさま こんにちは

 アルバイトで1日屋外にいたせいでこんがり焼けかけのすずめです.焼き鳥へのカウントダウンです.北の大地が涼しいというのは嘘です,直射日光がとにかくつらいです.

 さて今日のお題は「漫画によくでてくるアレって本当にできるの??」です.何故こんなふわふわなタイトルかと言うと,まず「漫画」と言ってはいるけど展開を覚えてはいれどどの漫画のどの巻にあったかを正確に覚えてないですし,「本当にできるかどうか」というのもあくまで私の知識の範囲内なので「その考えは,違う…!!」と言われると「そうなんですね!あの,ぜひ考えをお聞かせください!」と変わり身をする自信しかない,リソースもへったくれもないものなので,

 「ふーん」と思う程度に読む (こことっても大事です)

 自分の知っている漫画で似たような場面が該当するならそれを思い浮かべながら読む

ことをお願いしたく存じます.

 

 さて今回私がとりあげるふわっふわな定義の「漫画にでてくるアレ」は2つです.

 1.ぼろぼろになった主人公が土壇場で何かがトリガーに,めっちゃ強くなり

   相手に立ち向かうアレ

 2.その道のプロである老人が力自慢の人や若くそれなりに強い主人公たちを柔よく

   剛を制すよろしく,受け流したり倒してしまうアレ

 オリンピックもあることですし,スポーツにも通じるものを選んでみました.この2点から冒険活劇ものが好きなことが暴露されている気もしなくもないですが深く考えないことにします.

 

それでは早速見ていきましょう!!

 1.ぼろぼろになった主人公が土壇場で何かがトリガーに,めっちゃ強くなり相手に

   立ち向かうアレ

   これは色々なパターンがあると考えられます.そもそも主人公はすごい実力があ

 ったけれどそれを普段は制御している(俗にいう,"俺TUEEE"でしょうか?)場合もあ

 るし,トリガーがいい方向よりも悪い方向に働いてしまう場合…

   私が想定しているパターンとしては,「元々できるわけではなく(実力を隠してい

 るわけではない)土壇場で潜在能力が開花して強くなる」場合です.

 まずこの状況について考えると主人公は体力もかなり削られ体もボロボロ,それで

 もここで相手を倒さねば命の危機等に関わからこそなんとか自分たちで倒さねばなら

 ないというストレスがかかっている状態です.何とか立ててたとしても,そのあと強

 大な相手に対して体を人は動かすことができるのでしょうか?

 これについて考えられる効果として「火事場の馬鹿力」が挙げられます.大きな声を

 出したり自己暗示(自分はできる,といった強い思い込み)によって通常ならもう動け

 なくてもそれ以上に体を動かせたり,怪力を発揮したりできるというものです.そし

 てそれを発揮手出来ても,勿論体に普段以上の負荷をかけるので当然きちんとケアを

 する必要があります.反動がないわけではないようです(たしか).さてここで皆様が

 読んできた漫画の展開を思い出してみてください,勿論無言で行われる戦闘シーンも

 ないわけではありませんが,大抵何か叫びながら攻撃している場面,目に浮かぶので

 はないでしょうか?あれだけ叫んでて,体へとへとで追い詰められて…何なら「あれ

 をやるしかない…」とか背水の陣を引いてることもあるのではないでしょうか.

 いや,これ「火事場の馬鹿力」では…と何度か考えたことがあります.

 

2.武術の道のプロである老人が力自慢の人や若くそれなりに強い主人公たちを柔よく

   剛を制すよろしく,受け流したり倒してしまうアレ

 さてこの状況についても考えてみると,主人公たちが老人にしてやられるのは

侮りもあると思います。老人がそんなに強いわけない,年をとればとるほど体が動かな

くなっていくものでは…?でも決して筋肉が多くついているわけでもないのに滑らかに

動作すること…本当にできるんでしょうか?

 まず身体と言う意味で私個人の考えを述べると「基礎体力」の面での低下なのであっ

て「身体操作」の技術の熟達と何ら関わりがないのだと思います.わかりやすくいう

なれば,年を経れば体力は落ちるけれど経験は間違いなく蓄積し,自分の体に対する感

覚がより一段と鋭くすることができるのではないかということです.これを軸に老人

が発揮した「力」について考えると,所謂がっちりした筋肉は若人よりもつきにくいか

もしれませんが経験に基づいて無駄のない動きを再現するために必要な最低限の筋肉を

持っていること,そして効率のいい筋肉・全身の動かし方ができるということが考えら

れます.

 では効率のいい体の動かし方とは何でしょうか?まず一つは動作に必要な筋肉だけ鍛

えてあり不必要な筋肉に動きが阻害されたりしないことだと思います.これは武道に限

った話ではなく,踊りなどにも通じるものですが,例えばいつも力んで力がはいったま

まペンで文字を書くのは,すぐに書くのに疲れてしまうし,その習慣を続けてればその

筆記方法に必要な筋肉が付きます.しかし実際そこまで力が必要ではないし筋肉は固い

ものなので無暗につけば,その後ある程度力を抜いて文字を書く練習をしようとすると

多少動作の障害になりしなやかに文字を書くことが難しくなるかもしれません.しなや

かに動かせる,というのは可動域が広いともとらえることが可能です。それはダンスを

練習する人の体の柔らかさを思い出していただければ想像しやすいかと思います.次に

経験によって無駄な予備動作がなくなっていることも一因であることが挙げられます.

人が何か行動を起こそうとするとき,それは例えば息を吸い込む音であったり,小さな

身じろぎ,腕に力の入り等所謂「起こり」つまり次の動作を起こすための前段階の予兆

があるのですが,経験を積むことでそうした予兆がわからないようになっているのでは

ないかと思います.その他にもたくさん要因を挙げることができますが長くなるため割

愛します.とにかくこうした効率のいい動きができるからこそ老人ということ関係なし

に主人公たちの技を受け流したりしてぼこぼこに出来るのだと考えられます.実在の例

で知りたいという方は剣道や合気道の師範代の段審査や試合の動画を一度見てみるとい

いかもしれません.「人を見た目で判断してはいけない」とはよくいったものですが実

践するのは少し難しいことです.漫画にその手のご老人が出てきて主人公たちが「え負

けるわけないよ」といった雰囲気をみせる度に「人間は印象で相手を結局判断をせざる

を得ないよな」と思いつつその後にボコボコにされる主人公たちを合掌するような気持

ちで眺めています.

 

※オマケ※

 身体操作は自分の体を知りどう動かせばいいか知ることであり体の感覚を最大限引き延ばしているものです.ある意味自分自身の体の感覚をずっと見つめる必要があるのです.言い換えれば自分の身体の感覚について解釈しようとする行為であり,哲学的ともとれるものです.かつて私は合気道を学んでいたことがあったのですが,非常に合気道の身体操作が得意な門弟の方がいらっしゃっていてその方はいつも哲学者メルロ・ポンティの本を読んでいました.

ja.wikipedia.org

そして「メルロ・ポンティの本を読んだら合気道ができるようになったしできるように

なったことで更に内容を理解できるようになった」とおっしゃっていたことがあります.

 嘘か本当か(恐らく本当です)私が実体験として経験していないので真偽は不明ですが.一見かけ離れて見える身体操作を学ぶことと哲学に触れるということが,繋がっ

て相互的に役立つということが,とても不思議でそれと同時に納得されたのも覚えて

います.哲学を学べば合気道ができるようになる説をいつか検証したいです.

※※※

 

いかがでしたでしょうか?個人的には今回説明したような理由で「起こりうる」と納得していつも読んでいるのですが,自分もまだまだ不勉強の身であるので他にも「こういう考え方もできる」というのがありましたら是非教えて下さい!!

 

それでは,つたない文章をここまで読んで下さりありがとうございました.

                                  すずめ