名古屋大学読書サークル

サークルメンバーがゆるりと記事を書くスペースです

サークルメンバーの紹介

 

こんにちは、もうすぐ春ですね 🌸

春は出会いの季節、そろそろ桜も咲き始めることでしょう。

 

読書サークルでは季節関係なく随時メンバーを募集しているわけですが、この春から大学に入学される方、また、在学生や院生の方々に、少しでも興味をもって頂きたいので、このあたりで、サークルメンバーの紹介をしようと思います!

 

【メンバー紹介

1.のみぞ 

  • 名古屋大学 
  • 理学研究科1年 
  • 仕掛けのある本やミステリーが好き
  • 定期的に頭がよさそうな本に挑戦しては挫折している

2.榊原

3.ハナ

  • 北里大学 
  • 獣医学部4年
  • 好きな作家 小川洋子
  • 深夜の優しい時間が流れているような素敵な作品に触れると幸せを感じる
  • サークルの活動を通して、自分の知らなかった作品に出会えることがとても嬉しい

4.e

5.梶

6.黒谷 

7.fumi

8.がお

9.大木

10.イシ

11.kato

12.カン

  • 名古屋大学 
  • 工学部2年
  • 好きなジャンル 行動心理学、社会学 
  • 人々の行動を分析する本が好き

 

対面やオンラインでの読書会では、和気あいあいとした雰囲気で、本について話し合ったり、おすすめの本を紹介し合ったりしています。(雑談も、とってもたのしいです!)

 

少しでも興味を持たれた方は、

お気軽にツイッター(@meidaidokusyo)のDMまで、ご連絡ください。

 

お待ちしております!

 

 

パスタ、パスタ、パスタ!

 

世のパスタ好きには申し訳ないのだけど、私にとってパスタは、「あかん、自分が食べたいものが全然分からん、でもお腹が空いて頭が働かんから、何か食べないともっとあかんことになる気がする、仕方ないからパスタでも食べるか……」みたいな諦めの先で食べるものだ。

つまり、諦めた食事=パスタなのである。美味しいパスタに出会ったことがないからではないか、と言われれば、何も言い返せはしない。私にとってパスタとは、スーパーマーケットのスパゲッティー、200円前後のパスタソースで完成するものでしかない。

 

先日、朝、昼、晩、パスタ、パスタ、パスタになってしまったことがあった。「諦めの日」と呼んでいい。自分の食べたいものが何も思い浮かばず、脳内の「絶対にこれが食べたい」フォルダーはすっからかんのまま。ずっとこんな日々が続いたらどうしよう。パスタ、パスタ、パスタ、永遠に、パスタ。もうそうなったら、パスタの奴隷やなあと悲しい気持ちになりながら眠りについた。

次の日、朝、昼、パスタ、パスタ、ときた。もはや惰性である。悲しみさえ、惰性である。食べたいものが分からない自分を不甲斐なく思いながら、読書をする昼下がり。湯本香樹実さんの『岸辺の旅』を読んでいた。死んだ夫と旅に出る女の話なのだけど、その女が、しらたまをつくり、二人で食べる場面がある。しらたまは彼女の夫・優介の好物だった。

 

向かいあって、ふたりで食べた。白砂糖だけかけて出すのははじめてだったが、優介はひとつひとつ、甘さと口あたりをたしかめるように食べている。(中略)はじめて私のつくったしらたまを食べたとき、彼はまるでそのやわらかさをこわがっているみたいにそっと口を動かしていた。そうだ、そうやって、少しずつ、お互いの世界を広げていったのだ。

 

読みながら、私の「絶対にこれが食べたい」フォルダーに、静かに「しらたま」がおりてゆくのを感じた。そうだ、夕飯は、しらたまにしよう。私は、そういえば幼い頃からフルーツポンチが大好きで、フルーツがたくさんだと楽しい気持ちになる。だけど、その日は、できるだけ、『岸辺の旅』にでてきたしらたまの素朴さから遠ざからないように、ラズベリーとしらたまを三矢サイダーにつけるだけのフルーツポンチにしようと思った。

読み終えたとき、物語の余韻よりも、パスタからの解放感で私の心はいっぱいだった。

 

それまでにも、同じような経験がある。

私は、自分が本当に食べたいと思うものを決めるのがどうも苦手なようで、一人暮らしをはじめてからは特にそのいやな性質は顕著になり、すぐに好きでもないパスタに逃げてしまう。だけど、物語を読み、そこにでてきた食べ物や料理に触れることで、時々は、「絶対にこれが食べたい」を見つけることができたりするのだった。

私にとって読書とは、パスタの呪いと戦う自分をすくってくれる営みのひとつでもあるのだろうなと思う。もちろんそれは、本に限らず、映画にもあてはまることなのだけど。

と、ここまで書いておきながら、現在の私の「絶対にこれが食べたい」フォルダーには何もなく、今日の夕飯は、このままいくとパスタになる。大変まずい。美味しい料理がでてくる本、いや、べつに美味しい料理でなくていいから、何か、主人公やそれ以外の登場人物にとって大切な料理や食べ物がでてくる本をつねに募集している。もし、思いついたら、教えてね。

それでは。今更ながら、はじめまして。今夜はきっとパスタの e でした。

 

 

 

 

 

Bonjour Tristesse

ボンジュールマドモアゼル、ムッシュ

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

まず長らくブログを止めてしまいすいませんでした!この罪は重いですね。もう何でもします。サークルの犬となって働くので許してください。

 

皆さん最近悲しいことはありましたか。思い浮かべてみてください。

悲しみを紛らわせるにはより一層深い悲しみに触れるといいのかもしれません。

 フランソワ―ズ・サガンの「悲しみよこんにちは」を読みました。

www.shinchosha.co.jp

あらすじ

幼い時に母を亡くしたセシルと父レイモン、愛人のエルザは3人で地中海へヴァカンスに出かけます。そのヴァカンスに父のもう一人の恋人アンヌが現れます。アンヌは聡明で超然とした美しい女性です。セシルは別荘先で出会ったシリルという青年と恋に落ちますがアンヌに強く反対されます。父がアンヌとの再婚を考えていることを知ったセシルは、今までの快楽や面白さを求めた気ままな暮らしを冷笑し知的な友人に囲まれたバランスの良い堅実な生活へと変えてしまうアンヌに不快感を感じ、アンヌを自分の生活から追い出す計画をします。

しかし徐々にアンヌという理知的な女性との暮らしに自尊心や優越感が心に広がったセシルは居心地の良さを感じ始めます。そして複雑な気持ちの中、計画が成功することを不安に思うようになります。アンヌを追い出す計画の途中で悲劇が起きます。

 

 

どうでもいいですが、私はセシルとシリルの間で繰り広げられる夕暮れ時の海のごとく眩しい恋愛に、悲しみを紛らわすどころか却ってダメージを受けました。残り5ページくらいでようやくHello Sadnessになり少しほっとしました。

個人的にはセシルとアンヌの心理描写やヴァカンスでの情景描写がよかったです。

朝光の落ちるベットで目を覚まし、一度冷たいシーツに身を預けて起きる。朝食に熱いブラックコーヒと甘いオレンジをかじる様子などが色彩豊かで鮮やかでした。

本の冒頭でセシルは、悲しみと一言では表せない感情を「なにか絹のように滑らかに、まとわりつくように私を覆い、人々から私を引き離す」と表現していました。それは単なる圧迫感や痛み、暗さではなく生ぬるく寂しい優しさを感じました。表現が洗練されておりとても文章がこなれていました。サガンの表現力なのか、翻訳者の訳が上手いのかわからなくなりました。

 短く読みやすいのでぜひ読んでみてください!

 

 

本とは全く関係ありませんが、面白かったのでマリーナ・アブラモヴィッチのパフォーミングアート、リズムシリーズの「Rhythm0」について紹介しておきます。        

www.artpedia.asia

そもそもパフォーミングアートとは芸術家自身の体が表現の媒体となり、観客、時間、場所、パフォーマーの体、4つの要素が作品を構成するものです。

1974年に発表されたマリーナアブラモヴィッチの「Rhythm0」は、観客に6時間の時間と72個のアイテムが与えられ、観客の望むままにそれらのアイテムを無抵抗のアブラモヴィッチに対して使わせるというものでした。

72個のアイテムの中には薔薇や紐、ハサミや鞭、銃弾と銃などがありました。

観客は初めのうちは遠慮がちにそれらのアイテムを使っていましたが、異様な状況に置かれることで精神状態が変容していき徐々にアブラモヴィッチを傷つけるようになります。最終的に彼女は服を切り裂かれ首元は剃刀で切られ、手には銃が握らされた状態となっていました。社会的ルールから隔絶されたとき、人はどのくらい攻撃的になるのかを証明した作品です。

無意識のうちに他者を傷つけたいという心理が人間にはあるんでしょうか。ほかのリズムシリーズもとても面白いのでぜひ見てください。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

書いた人 がおさん

 

推理小説への挑戦

お久しぶりです。fumiです。最近は試験勉強などで本が読めない時期が続いていたのですが、試験も終わったことでようやく読んでなかった本を読むことができました。

 

さて、今回私は「体育館の殺人」という推理小説に挑みました。

 

 


とはいえ、今までにもいくつかの推理小説は読んだことがあるため、初めて推理小説を読んだというわけではありません。ではなぜ「推理小説への挑戦」などという仰々しいタイトルにしたのか。それは、初めて「解決編よりも前に犯人を当てる」ということに挑戦したからです。今までは推理小説を読むといっても、犯人について考えることすらせずにノータイムで解決編に移動してしまっていたため、自分で推理したことがありませんでした。
というわけで初めて推理に挑んだわけですが、まぁ結果というか成績を最初に行ってしまうと、100点満点中60点くらいでした。犯人自体はあっていたものの、アリバイと不自然に記述されている情報などから半ば勘で当てたようなもので、詳細な動機や殺害方法などは全く分からなかったです。
まぁ犯人自体は当てることができたので初めてにしてはよくできた方かなとも思いましたが、A4一枚のメモとにらめっこしながら一時間近く悩んだことを考えると少し悔しい結果になりました。

今回私が挑んだ「体育館の殺人」は、推理小説にしてはライトな感じであり、探偵役も天才変人高校生というどこかのラノベや漫画にありそうな設定であったため、割と読みやすい小説でした。そうでなければ犯人あての為に何度も読み直すなんてことは難しかったかもしれないですね。まぁ読みやすいと思ったのは今まで読んできた推理小説アガサ・クリスティーエドガー・アラン・ポーなどの海外作品だったせいかもしれないですけどね。

今回犯人あてに挑んだのは今までにない新鮮な読書体験でした。先が気になって気になってしょうがない中、それを我慢して今までの部分を何度も読み直すというのは初めてではありましたが、なかなか良い物でした。まぁそれはそれとしてめっちゃ疲れましたが。。。

ということで推理小説の中身について語るというのも何なので短いですがこれで終わろうと思います。機会があればまた挑みたいですね。

 

書いた人:fumi

読み方抗争

お久しぶりです。今回担当のイシです。

今回は先日の読書会で話題に上がった、物語の読み方について考えていきます。奇しくも前回の僕の記事と関連がありますね。(観点自体は別ですが)

 

meidaidokusyo.hatenablog.com

このタイトルにもなっている物語の読み方って何?と疑問をもたれている方も多いですよね。だって、物語を読むためには目で文字を見て、文章と認識して意味を考えて・・・ってするしかないですもの。

今回の記事は、それ以外の画期的な読み方が見つかったぜ!とかいう世紀の大発見を報告する回ではなく、読むときにどんな要素に注目して読んでいるのかについてひもといていこう!という回です。

今回は物語にフォーカスしているので、知識を仕入れるための本は除外しますね。

 

読み方1:文章読み

読むときに文章自体に注目して読む読み方です。全体の流れとか展開よりも、文章の美しさや正当性に重点を置き、物語を全体として楽しむよりは各所各所でピックアップして楽しむ読み方です。詩とかを読むときの感覚に近いんですかね。

正直、僕の読み方があまり文章読みではないので理解できないところもありますが・・・。サークル内ではSさんがきっとこの読み方で読んでいるんですよねー。

ただ、このサークルに入ってからそういった人と触れて、少しずつ文章読みもできるようになってきています。当然、「うーん、この本の魅力がわからん」となることもありますが・・・。

わかりやすい例を挙げたいのですが、ぱっと思いつかないので以前にも紹介された本を置いておきます。僕自身、文章読みで読む本があまり好みでないので、読む機会が少ないんですよね。

 

僕自身が筒井康隆の熱心なファンというわけではないですが(どちらかというと先述のSさんのほうが読んでますね)、なんかことあるごとに使っちゃってますね。

 

読み方2:展開読み

先ほどの読み方とは対照的に文章だけでなく、どちらかというと展開に重点を置く読み方です。物語の部分部分がどうかというよりも、全体の流れを楽しむ感じです。僕はこの読み方に近いですね。映画やドラマ、アニメを楽しむときと同じ感じです。それなら映画を見るのと同じではないかって?いえいえ、小説ならば自分のペースで、自分が理解できるちょうどいい速さで物語を進めることができるんですよね。きっとこの記事を読んでいる読書好きの方ならわかってくれるはず。

僕はこの読み方で読むのが好きなので紹介できる本はいろいろとありますが、ここでは抜粋して、数冊紹介しておきます。

 

 

 

 

また、この読み方で読むような本は、起承転結がはっきりしており、物語構成になじみやすい反面、大まかな流れを予想できてしまうところはありますよね。文章読みをしている人たちによると、その流れに沿った予定調和的なものが許容できないから、こういった物語を評価できないという意見もあります。ただ、僕は、物語を読み進めていく断片で考えるのではなく、読み終えてから予定調和的な展開も含めて、全体外観的に作品を見ることで展開読みされる物語にも価値が生じると思っています。

こんな小難しく言わなくても、展開読みのドキドキ、ハラハラ感もたまらないですよね。

 

3:概念読み

これは正直読み方として並べていいのかわかりませんが、ときどきこの方法で物語を楽しむことがあるので、書いちゃいました。直接読むときにというよりは、読んだ後に本の中を飛び出して、「これが、現実に起こったらどうなるのだろうか」とか、「これと現実社会ではどこに通じるものがあり、その問題を解決するために我々はどう行動すべきなのか」など想像する読み方です。以前の記事で本を読むことで新しい価値観を得ることができると書きましたが、得るだけでなくそれを自分の中で膨らませるのが個人的には好きです。その視点で読み進めるため、ただひたすらに主人公などの考え方だけをさらっていく感じで読むときがありますね。内容など、物語の筋書きを全く気にしていないというわけではないですが、後々記憶に残るのは内容よりも、作品中で得られ、自分で膨らませた価値観のほうですね。

あまりうまくは説明できませんが、読書感想文とかを書くために読むときとかが例としてわかりやすいのですかね?

かく言う僕も長らく書いていないですが・・・。懐かしいですね、読書感想文。

これも僕の好きな読み方?なのでいろいろと紹介できるのですが、その中から数冊選びました。

 

 

 

 

みなさんはどの読み方で読んでいますか?文章読みの人も、展開読みの人も、両方当てはまるよって人もいると思います。

読み方の癖は小説の趣味にも現われます。この作家の本、自分に合わないとか感じるときはありませんか?それはきっと自分の読み方とその作家の作風が合っていないせいかもしれません。

文章読みの人からすると展開読みの本は予定調和でおもしろくなく、展開読みの人からすると文章読みの本は読みづらく小難しく見えるようです。

ただ、そこで小競り合いをせずに、お互いの読み方の良さを認め、同じ読書好きな人としてこれからも仲良くやっていきたいですね。

文責:イシ

かがみの孤城を読んで

お久しぶりです。katoです。最近は、プロセカというゲームにかなりハマっていて、空き時間があると、読書よりもまず先にそっちに手を出してしまっています。読書の習慣を取り戻さなければなりませんね…

 

さて、今回は割と最近の作品について書こうと思います。2018年に本屋大賞を受賞した「かがみの孤城」です。

 

 

リンクはハードカバー版ですが、文庫版もありますのでご安心を。私自身、本屋の店頭で見つけて気になってはいたのですが、いかんせんハードカバーは高いのでずっと見送っていました。今年になってようやく文庫版が発売されたので購入した次第です。

 

この本では学校が一つのテーマになっていると思うのですが、皆さんは今の日本の学校、敷いては教育についてどう思っていますか?私は学校が大嫌いとまではいかずともかなり嫌いでした。特に、小中学校での多勢に合わせなければならない空気感が苦手で、一人で過ごすか友達と少人数で過ごすことが多かったように思います。

小中学校において、クラスの中心になるグループが必ず存在して、そのグループによってクラスがまわっていく構図になるのはなんでなんでしょうかね?この構図のせいで、いわゆる少数派や異端児にあたる人たちはクラスに馴染めず、辛いまま学校生活を過ごしたり不登校になることが多いように思います。主人公のこころもこの例に漏れず、なかなかクラスに馴染めないどころかこのグループに目を付けられて、結果的に不登校になったわけですし…

 

私が今回印象に残っているのは、こうした学校での人間関係の問題やそれが原因で不登校になった子達の心情描写がかなり細かく、そしてリアルに書かれていたことです(もしかしたら作者の辻村深月さんもこういった問題に悩んでいたのではないかと思うほどでした)。自分はそのことでずっと悩んでいる一方で、そのグループの人たちはまるでそんなこと忘れてしまったかのように平然と過ごしていることへの怒りや大人達の無理解、対応の酷さに対する絶望など、多勢に属する人には理解されない悩みを抱えているのを見て、読んでいるこちらもかなり辛くなりました…。

 

こういった学校に馴染めず、心に傷を負うような子達を減らすためにはどうすれば良いんでしょうかね…?「いじめをなくすために」みたいなキャッチコピーで学校側が対策しようとしているのをよく見ますが、どうも的外れで大人の視点からしか考えられていないような気がします。「悩みがあったら頼れる人に相談する」なんていうのは典型例ですが、そもそも人に話せるようなことならそんなに悩みませんし…。もっと根本的に学校というシステムそのものを変える必要があると思う一方で、先生も生徒も人間である以上解決は不可能だとも思いますし、結局このままずっと続いていくんだろうなぁと。

 

本についてというよりかは、今の教育についての愚痴になってきたので、この辺りで終わろうと思います。この本自体はとても素晴らしかったので、ぜひ一度読んで欲しいです。特に下巻で真相がすべてわかったときの驚きは相当なものです。

 

拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

書いた人:kato