名古屋大学読書サークル

サークルメンバーがゆるりと記事を書くスペースです

ひとことレポート「檸檬」

檸檬

著者:梶井基次郎

 ジャンル:短編小説

檸檬 (角川文庫)

檸檬 (角川文庫)

 

 

おすすめ度★★★☆☆

思ったより短い度★★★★☆

 

読み始めたきっかけ:表紙の柄がきれいだったから

ひとこと:この前読書会の課題本になっていたので、皆がこの小説について話しているのを聞きながら読み返した。短いのと一周だけじゃよくわからんまま途端に終わるので、読み返すのは必至。いろいろ抱えてしんどい人の息抜きになりそう。個人的には主人公は嫌い

 

 筆者:のみぞ

メイド喫茶概論 ーー基礎、そして応用へ

そういえばこのブログ、良識さえあれば何書いてもいいらしいので、メイド喫茶について書きますね。今日から名大読書サークル名大メイド喫茶サークル(略称:メメサー)です。

メメサー、いい響きですね。

 

なぜメイド喫茶の話題なのか、というのもこの前メイド喫茶というものに初めて行ったからです。

と言うといささか適当すぎるので、メイド喫茶は日本のサブカルチャーの特筆すべき『萌え』文化の具現であり、メイドは漫画から文芸に至るまで『萌え』を表す記号になっている。」と言えば読書サークルで書く意義が出ますかね?じゃあそういうことにしましょう。

 

なので別にメイド喫茶に詳しいわけでも、好きなわけでも、嫌いなわけでもないです。でもマジで面白かったので、みんな1回は行くといいと思います。

 

行った行ったと言いましたが、行ったと同時に意味が分からなくもなりました。文化があまりに独特すぎて、例えるならアマゾンの密林の生物を見てる気分になったからです。ちなみに僕は生物専攻なのでこれは褒め言葉です。

つまり何がこの文化を特異たらしめているのかとても気になりました。

 

気になってしまっては調べるしかないですね。調べました。

 

もくじ

 

基礎知識

メイド喫茶には大きく分けて2つ存在するようです。

 

・パフォーマンスメイン(一般に想像されるメイド喫茶)

・飲食メイン(クラシカル系)

 

前者が世間一般でいうところのメイド喫茶です。入店すると猫耳つけられたり、メイドがアイドルのように歌って踊ったりするところですね。

このサブカル的振る舞いが人を選ぶ傾向にあるようで、私の知り合いは猫耳を付けられて最悪な気分になったらしいです。私はパーソナルスペースがクソ広いので、猫耳されたら無意識にメイド殴りそうです。

ただこれらの行為がメイド喫茶メイド喫茶たらしめているのは間違いない事実です。

 

後者は茶店性をより前面に押し出した営業形態です。パフォーマンスメインの店は、料理に(見た目はともかく、味は)あまり力を入れていない傾向にあるようで、「メイドもいいけど喫茶店としても楽しみたい」という需要に応えた形になります。

また、先ほどの接客が入店の敷居を高くしている側面もあるため、新規顧客獲得のために、あえてそのような接客をしない、という意図もあるようです。

こちらは前者と比較してよりマイナーな形態(というかパフォーマンスメインの店がメイド喫茶ブームの火付け役となり、業界を寡占してしまった)ですが、メイド喫茶としての歴史はパフォーマンスメインの店より古いらしいです。

 

メイド喫茶の特異性

メイド喫茶で特異的なのは、制服に表象されるように、店=客のお屋敷という設定にあるでしょう。
そのため入店は「ご帰宅」、退店は「お出かけ」となります。(店により違いはある)

 

メイド喫茶は基本的に単位時間あたり席料が発生し、時間になると「お出かけ(=退店)になりますか?」的な事を聞かれるので、この事を頭に入れておく必要があります。

ちなみに私は全く知らなかったので、「は?」と言ってしまいました。気をつけましょう。

 

この営業形態はどこからきたのか?

メイド喫茶といえば、今挙げたようなシチュエーション、更には「猫耳」「おまじない」など、奇抜な接客が思い浮かぶと思います。これらがある日突然出現したとは考えにくいですよね。

そう、メイド喫茶には起源があるのです。

 

時は1997年に遡ります。

成人向け恋愛シュミレーションゲーム『Pia♡キャロットへようこそ!!2』の発売を受け、「東京キャラクターショー1998」にアニメゲームの企画・制作とショップ「ゲーマーズ」を運営するブロッコリーが、同タイトルの舞台を再現したレストランを出店したのが始まりです(出典:現代消費文化を覗く-あなたの知らないオタクの世界(3)廣瀨 涼 https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=61840?site=nli)

これを常設した店が徐々に広まり、00年代のアキバブームと共に爆発的に広まったと見られます。

特異だな~とは思っていましたが、納得の出自です。ある一部の集団で流行ったコアな内容が、世間一般的に見受けられるまでに広まったのは、なかなか興味深いですね。「電車男」など、サブカルチャーに光が当たり始めた時代だったからこそ、広まり得たのかもしれません。

 

ところで、メイド喫茶がエロゲ発の文化であることに驚かれる方もいるかもしれませんが、90年代以降のアニメや漫画関連の文化は元がエロゲであることはザラなので、まあなんていうかそういうことなんですよ。エロはカオス、カオスは全てが生まれる場所なので......。

 

主従関係の倒錯

話は現行のメイド喫茶へ戻ります。

メイド喫茶は店員がメイド=召使いであるため、見かけ上、客優位の構図が成立しています。

が、メイド喫茶のメイドは同時にアイドル性を兼ね備えています。

 

例えば、メイド喫茶ではメイドのバースデーイベントをよくやります。これはメイドが召使いであるという前提からはあまり思いつかない発想です。そしてこのイベント時には、客からプレゼントが届きます。これは客がメイドを偶像として崇拝しているといえるのではないでしょうか。

そうでなくとも、ライブをやったり、アイドルや声優志望の人間が数多く勤めている現状を見ると、メイドのアイドル性は確実なものであると信じて止みません。

 

このように、メイド喫茶では「主人=客」>「メイド」であると同時に「客」<「メイド=偶像」という倒錯が見られます。私はこの点が一番面白いと思っています(なんかウケるので)。そして特異性の肝でもある気がします。

 

風営法

メイド喫茶では、メイドが接客をします(当然ですが)。料理を頼んでから出るまでの時間は談笑したりもします。

 

金を払うと若い女の子が話してくれる。

 

 

.......(Thinking time)

 

 

私は思いました。

 

「なんかこれキャバクラっぽいぞ?キャバクラ行ったことないけどと。

 

 

そうなると気になるのは風営法です。メイド喫茶風営法に抵触するのか?

 

風営法第二条において風俗営業は以下のように定義されています。

 

接待飲食等営業1号営業 - 客を接待して飲食させる営業する、キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備(キャバレー、クラブ、ホストクラブ、キャバクラなど)
2号営業 - 低照度飲食店(10ルクス以下の暗い喫茶店・バー。店員による接待は出来無い。1号営業を除く。)
3号営業 - 区画席飲食店。他から見通すことが困難で広さが五平方メートル以下である客席を設けて営むもの(カップル喫茶)2005年10月27日の参議院内閣委員会における黒岩宇洋の質問によれば、許可を受けている2号営業(当時は5号営業)は17店、3号営業(当時は6号営業)は6店である。
その他(遊技場営業)4号営業 - まあじやん屋(雀荘)、ぱちんこ屋(パチンコ店)など
5号営業 - ゲームセンターなど「4号営業」と「5号営業」の違いは、「4号営業」が「設備を設けて客に射幸心をそそる恐れのある遊技をさせる営業(遊技方法自体が射幸心をそそる恐れがあるもの)」、「5号営業」は 「遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそる恐れのある遊技に用いることができるもの(遊技方法は射幸心をそそるつもりはないが、遊技設備が本来の用途と別に射幸心をそそる可能性があるもの)」とされている。

(Wikipedia風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」より)

 

メイド喫茶風営法に引っかかるかどうか、その争点はズバリ「接待飲食等営業1号営業」、メイドの接客が「接待」に当たるのか、というところにあります。私には分からん。

なのでそれっぽいサイトを色々見てみました。

adachi.icu

minerva-copyright.xyz

kyoto-keijibengosi.com

 

内容的を総合すると、

 

「あ〜ん」はアウトだが、「萌え萌えキュン」「おいしくな〜れ」はギリセーフ

 

という感じですね。う〜む、よくわからん。ただ接客内容によってはグレーな存在であることは確かなようです。

とりあえず違法営業を回避するために、あまりベタベタに会話せずさっさとオチをつけて部屋に戻るみたいな話もあるみたいですが、真偽やいかに。

 

 

そして応用

さて、ここまで読んだ方はメイド喫茶に興味がある方とお見受けします。では基礎知識を十分に仕入れたところで、実際に行ってみましょう。名古屋市内にもそれなりにありますが、目につくところに沢山あるのはやはり大須でしょう。

 

大須の場合

名古屋市には大須という、秋葉原をショボくした感じの街があります。

まあこの絶妙なショボさが私は好きなわけですが、ここには私が確認しただけでメイド喫茶が3店舗あります。(このブログ書くために色々調べた結果、本当はもう8店舗あるっぽいです。調べれば調べるほど増えていったため、私は驚愕のあまり震えました。)

 

めいどりーみん

maidreamin.com

所謂メイド喫茶です。よく客引きをしているので、すぐわかると思います。

お屋敷ではなく夢の国という設定なので、入店は「入国」退店は「出国」という扱いになります。あまり詳しくは知らないですが、喫茶店としての通常の営業と、メイドによるライブ営業があるらしいです。

余談ですが私の友人はここに行きました。だがしかし通常営業の終わりがけだったため、クマさんパフェを爆速で食し、メイドのライブを見たといいます。

私は行ってないのでよくわかりませんが......。

 

エンジェルメイド

concafenavi.com

建物の二階に存在するため、個人的にやや敷居が高いです。いかにもなメイドのアニメ絵が目印。

バイト先の先輩曰く、可愛い子が多いらしいですが、彼女の「可愛い」の範囲は相当広く、泥酔した私も含まれるのであまり当てにならないです。

私は行ってないので真偽のほどは定かではありませんが......。

 

メイリー

mai-leaf.com

中心街からやや離れたところにあります。メイド服が緑色で、今年で10周年の老舗らしいです。なぜかバー営業もしています。私が行きました。

猫耳とか付けてこなかったので、無意識にメイドを殴らずに済みました。とは言いつつ所謂メイド喫茶っぽさもあり、何より紅茶が美味かったです。メイド喫茶初手でここはかなりアリだと思います。

私はここしか行ってないのでこういうことが言えます。

 

最後に

そういえばこのサークルは読書サークルだったので、メイドが出てくる漫画を紹介しときます。おかしいなあ、メイド喫茶サークルだった気がするんだけどなあ。

 

それでも町は廻っている

 

下町の喫茶店が、急にメイド喫茶に改装するところから始まる、下町メイド喫茶コメディーです。

登場人物の1人を除き、誰もメイド喫茶が何であるかを知らない。何なら作者も知らない。なぜメイド喫茶で漫画を描こうと思ったのか?知らないのに描けると思ったのか?という疑問符が脳内を駆け巡りますが、面白いので全く問題なかったです。

ちなみに内容的にメイド喫茶に改装する必然性は全くなかったです。それどころか喫茶店が出てこない話も多いです。

 

今回はこんなところで終わりましょうかね。いやー長い記事だった。おわり。

 

文:榊原

タダで本を読む

本にかけるお金があるなら映画を見る/おしゃれランチを食べる/別の趣味に使う…という人も多いと思われる昨今。

できれば新品を買うのがいいんだろうなあ…と思いつつ自分も古本屋ばかり行っていますし、そもそもあまり本を買わなかったりします。

 

出版業界の不況が言われるようになって久しい(要出典)んじゃないかと思いますが、今回はそんな業界とバイト先の書店に追い打ちをかけるべく無料で合法的に本を読めるサイトを紹介しようと思います。ごめん、店長。

 

 

さて、合法的に無料で読める本(特に小説)というものは、①著作権が生きているけど著者が小説サイトや個人ページで公開しているものと②著作権が切れたためにフリーになって堂々と公開されている小説とに大別されると思います。

 

サークルの雰囲気を見るに前者はお口に合わない人が居そう(偏見)なのと、そもそも趣味の創作物が多いため、内容的にネット小説というジャンル(or文化)という扱いをした方がよさそうなので今回は触れません。気になるひとは手始めに「カクヨム」「小説家になろう」「Pixiv」「アルファポリス」などを検索して玉石混交の創作小説界隈で発掘作業をしてください。はまると結構楽しいです。かけた時間に対して得られる成果が少ない気もしますが、玉を見つけた時の達成感はなかなかのものです。若干マニアックですが個人ページなんかも探すと面白いです。発掘が面倒くさい人は「おすすめ ネット小説」「おすすめネット小説 (ジャンル名)」などで検索すれば早いと思います。いわゆる”なろう系”ではないタイプの良作(※1)もたまに見つけることができます。

 

 

 

閑話休題。前置きが長くなりましたが、今回の記事のメインはこれです

 

青空文庫

www.aozora.gr.jp

いや、ご存じの方も多いでしょうけど、これすごいんですよ。使ったことがない人はぜひ一度覗いてきてほしい。

ちゃんとリンクを埋め込んでおきましたので、別タブで開いてください。

 

開きました? 

開いてください。

 

はい。読者の皆様はインターネットネイティブばかりでしょうからそれほど説明はいらないと思いますが、作者の名前や作品名を五十音の索引やgoogleページ内検索からたどることができます。

かの有名な「源氏物語」は与謝野晶子による訳がでています。谷崎潤一郎による訳は作業中になっていて今は読めませんがそのうち公開されるのではないでしょうか。

試しに太宰治の作品を調べてみれば旧字旧仮名と新字新仮名の両方が公開されている作品もあり、このような重複含め274作品が公開中です。ずっしり

青空文庫 分野別リストをクリックすると図書館に行った時のように分類で調べることもできます。数は少ないですが児童書もあるんですね。

 

どれから読もうか迷う人はこのページからリンクに飛んで読み始めるのもいいと思います。

galapagosstore.com

 

いや、すばらしいですね。すばらしい。(語彙力の消失)

何が素晴らしいってこれが有志の方々によって管理されていることです。この時代に広告が一切ついていない個人ページも珍しいですし、分類や管理もしっかりとされていて書籍に対する愛と熱量を感じます。いやぁ良い。

運営についての項ではコンセプトが以下のような書き出しで記されています。

www.aozora.gr.jp

 電子出版という新しい手立てを友として、私たちは〈青空の本〉を作ろうと思います。
 青空の本を集めた、〈青空文庫〉を育てようと考えています。
 青空の本は、読む人にお金や資格を求めません。いつも空にいて、そこであなたの視線を待っています。誰も拒まない、穏やかでそれでいて豊かな本の数々を、私たちは青空文庫に集めたいと思うのです。

 

著作権が切れていることが重要なのでどうしても古い文豪の作品がメインにはなってきますが、なかなか読みごたえがあっていいんじゃないでしょうか。

サークルの読書会の課題図書を探すときにも使えそうです。みんなアクセスできますから参加しやすそうですね。

 

 

これに類似した(?)サイトで面白いサイトがあるので、小説からは離れますが紹介させてください。

 

ばべるばいぶる

www.babelbible.net

 

 こちらは聖書のデータベースです。ただ聖書を読みたいのであれば他のサイトや街頭で無料配布している聖書をもらってきて読むなどいろいろな方法がありますが、このサイトのすごいところはさまざまな言語の聖書が収録されているところです。

アイヌ語の聖書までありました。

私はクリスチャンではなく聖書に関しては全く疎いので、様々な言語で記された聖書を眺めて面白がるためにアクセスしていましたが、もちろん日本語訳もありますから読むこともできます。

サイト主の方によるその聖書の背景等の「解題」も併記されていてよいサイトなのではないかと思います。

 

 

これら以外にもネットの大洋にはタダで読める本・小説というのが転がっているので気が向いたらネットでも本を読んでみてください。今回はあまり触れませんでしたがネット小説文化は成長中の領域なので、賛否ありつつも面白いものがまだまだあります。

それから、やはり最近の著作権が切れていない本は現物や電子書籍、オーディオブックなどの形で買ったり借りたりする必要があります(当然ですが)。そういう本はタダにしたければ図書館や友人に借りて、作者や出版業界を応援したければぜひお金を払って買って読みましょう。

 

あと最後にどうでもいい事ですが、今回太字を使ってみたんですがセンスないですね。胡散臭いまとめサイトのにおいがしてきそうです。ブログの書き方はしばらく試行錯誤してみようと思います。

自分に本を読ませる実験(※2)の続報はしばらくお待ちください。それではまた。

 

のみぞ

 

※1 布教のためにおすすめを貼っておきます。発掘、しようぜ

寿命3000文字-村崎羯諦  小説家になろう https://ncode.syosetu.com/n0112gc/

寿命30000文字-つこさん。 小説家になろう https://ncode.syosetu.com/n4306ge/

 寿命3000文字のオマージュ作品。ぜひセットで読んでほしい。ほかにもオマージュが作られています。こういう広がり方があるのがネット小説のいいところですね。

 

※2  この記事のこと

meidaidokusyo.hatenablog.com

 

 

シュペルヴィエルと水の世界

こんにちは、恵です。なんとか本ブログも3周目に突入しました。

私はこの前イレギュラーで記事を更新してしまいましたが、今回も担当します。

 

うーーん、なに書こうかなあ。。。。。

 

しばらく考えましたが、大して浮かびませんでした。この前カフカでがんばったから大分燃え尽きています。

 

最近読んだ本を思い浮かべると、ジュール・シュペルヴィエルの書くお話や詩は凄くよかったなあと思います。

 

シュペルヴィエルは、19世紀にウルグアイで生まれたフランス人です。両親とともに生後すぐフランスへ帰国しますが、その際に両親が亡くなってしまい、ウルグアイ在住の養父に引き取られます。9歳で自分の本当の両親が亡くなっていることを知り、10歳に養父と共にフランスへ帰国。彼はその後の人生を通してウルグアイとフランスを行ったり来たりしながら生きることとなります。

 

そんな彼が書くお話や詩は、宮沢賢治を彷彿とさせる、幻想的で少し哀愁が漂うものが多いです。

 

<La mer secrète>

Quand nul ne la regarde,

La mer n’est plus la mer,

Elle est ce que nous sommes

Lorsque nul ne nous voit.

Elle a d’autres poissons,

D’autres vagues aussi.

C’est la mer pour la mer

Et pour ceux qui en rêvent

Comme je fais ici.

 

≪密やかな海≫

誰も海を見ていないとき

海はもはやその海ではない

海は私たちが

誰にも見られていないときのようになるのだ

海は他の魚たちを住まわせている

そして他の波たちも

それは海のための海

そして夢を見ている人のための海

私がここでしているような

(訳:私)

 

読める人は私の訳を当てにせず、原文を読んでほしいです・・・

私はこの詩に一目ぼれしました。なんだか心に染み渡ってきます。彼の世界観は大体こんな感じです。(イメージできましたか?)

 

シュペルヴィエルは水をテーマにしたお話が多いみたいです。

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「海に住む少女」シュペルヴィエル作、永田千奈訳(光文社古典新訳文庫

この、「海に住む少女」は表題作以外にも沢山の短編が収められています。海の上に浮かぶ島に住む謎の少女の物語、セーヌ川に流れる死体の物語、ノアの方舟の物語、、、

色んな「水」がでてきますが、どのストーリーも少しもの悲しさがあります。

 

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 「人さらい」シュペルヴィエル作 永田千奈訳(光文社古典新訳文庫

「人さらい」では、様々な場所で子どもを誘拐しては養育する、優しき大佐が主人公です。(誘拐犯なのに優しいところがポイントです。)大佐は南米出身で、そのことにコンプレックスを持っているみたいです。彼が南米に渡航するシーンで書かれる海は、なんだかもの悲しく、おそろしさを感じます。

 

 

ところでシュペルヴィエルの作品を読むと、なんだか夢の中に入り込んだような気持ちになります。

海が好き、水が好き、最近夢を見てないなーという人は、ぜひご一読あれ。

 

 

文章:恵

 

 

 

 

本が読めない

由々しき事態です。

仮にも読書サークルに入っている人間の発言とは思えませんね。

 

実を言うとサークルに入る前からわりとこの状態ではあったのですが、講義が忙しいとかお金がないとか図書館に行く時間がないとか適当な理由をつけて「読みたいけど環境が許さないだけ」と目を背けていました。

前回ブログ記事を書いたのが5月ですからもう半年以上たったわけですが、今日までに読みきった本は2冊ほど、挫折して中途半端になっている本が4~5冊程度です。ほんとうは図書館に行く時間も(本を買うお金も)本を読む時間もあります。

本が好きで寝食を忘れて目に入る本を片っ端からモリモリ読んでいた日々はどこへ…

 

でも、私以外にもこんな状態になってる人はいると思います。そこで、今まで聞いたことのあるいろいろな人の本との付き合いを思い出しながら、本の虫に戻るリハビリを考えてみました。本はともだち、怖くない!

 

 

1.本の効能を信じる

有識者(※1)の間で経験則的に言われていることですが、ベッドや勉強机など普段よくいる場所の近くの床面に本を水平に積み上げることで、本に含まれる知識や思想や世界観が漏れ出し遠赤外線の如くジワジワと浸透してくるという効能があります。表紙を上向きになるようにそろえホコリを定期的に払うとより恩恵にあずかれるそうです(諸説あり)。

とりあえず何かしなければという場合取り組みやすいですね。積むだけで本は実益を兼ねたインテリアに早変わり、いつも近くに置いてあるとなんだか賢いような気分になってきます。これが効能か。

ホコリを払っているうちに、あれ、この本途中まで読んだままになってたな、どういう展開だったかな…ぺらぺら……

ここまでくればしめたものです。

たくさん積んでおけば、地震が来て突然終わりの時を迎えても本に埋もれて死ぬことができるかもしれません。

 

 

2.一度読んだ本を読む

読み始めさえすれば読めるのに、なぜ読まないか。それは、必ずしも毎回満足できるわけではないことを考えてしまうからではないでしょうか。

そこで、前に読んで面白かったけど展開やトリックを忘れてしまった本、読むほど味がでてくるスルメ本ばかりを引っ張り出してきて読んでいけば、そのうち本を読もうと思い立ってから読み始めるまでに余計な考えや動作が挟まらなくなるのではないかと考えました。

 でもこれでは殆ど普通に本を読んでいるではないかということになります。ここまでできるのであれば本の虫まであともう少しでしょう。もっと初期にやれることはないのか。とりあえずそこら辺の本を積んだあとで気軽にやれることは…?

 

 

3.朝一で図書館/本屋/古本屋へ行く

朝一で、しかも一番近所にあるところへ行くのが大事です。できれば丸一日暇な日がいいですが、難しいなら半休の日でもよいでしょう、とりあえず最初に立ち読みをするところから始めてみようというわけです。家で積んである本は絶賛稼働中(1.を参照)ですから、持ってる本の題名だけ覚えてあとは一旦忘れてしまえば大丈夫。気ままに立ち読みをして、面白そうなら何冊か買ったり借りたりしてさっさと家に帰れば、興味が薄れないうちに読んでしまえそうな気がします。

店や図書館に並んでいる本は家にあるものより魅力的に見えますよね。その魅力のまま手を付ければ読んでしまえるのではないでしょうか。その日中に読み終わらなくても、平積みの群れに加えてやれば元気になんかいい感じの成分を放出し始めます。

雨や鬱で外出が億劫な日は、まるで店に来たようなわくわくした気持ちで部屋の本のホコリを払えば大丈夫。

 

 

4.メルカリに出す

これは一部の追い詰められた猛者やミニマリスト(※2)の荒業なので実際に使えるかどうかはわかりませんが、聞きかじった話をそのまま書きます。

まずは持っている本や買ってきた本をすべて適当な値段をつけてメルカリに出品します。そしていつ売れるかどうかひやひやしながらとにかく自分に本を読ませるのです。読んでいない本が購入されたら急いで読み切ってから発送します。メルカリで売れると言っても売り上げは元値より少なくなりますから、その分損をするのでその本を読む動機となるらしいです。そこまでしなくてもと思いますが、このスタイルが合う人にとっては自分に本を読ませられるし幾分かはお金が戻ってくるので良いのでしょう。何度も読み返したりしない人、人気の小説やビジネス書なんかをよく読む人には向いているかもしれません。

売り上げをつかって同じような人が出品している本を買えばメルカリをサブスクのように扱えると考えられるかも…?

 

 

さて、ここまで書いてきましたが、私が今からこれを実践しようとしているというだけで、こうすればうまくいくと言いたいわけではありません。

とりあえず暫くやってみて報告記事を書こうかなと思っています。

ほかにいい方法があるよという人は教えてください。

適当な論を捏ね繰り回してる暇があれば読めという人はぜひおすすめ本をください。

 

文:のみぞ

 

(※1)積読という形態の読書を嗜む人々。最近は電子書籍を使って肌身離さずバーチャル積読をする意識の高い人もいるという。

(※2)任意の本をいつどこでも入手できる普遍的リソースとみなすタイプの人々。所有にこだわらないことを信条とし、ゆえに生から解脱しかかっている。

「変身」の「毒虫」とはなんだったのか?

こんにちは、恵です。最近当番さんが執筆パス続きなので、代打で書こうと思います。

 

今回は、カフカが書いた「変身」をとりあげようと思います。

なお、思い切りネタバレしているので、読んでない人は注意してください。

 

 

 

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岩波文庫版を読んで記事を書いています。)

「変身」あらすじ

ある朝、青年グレゴールが自室のベッドの上でいつの間にか毒虫に変身していた。物語が進むにつれて彼は同居の家族から悲しまれ、哀れまれ、やがて憎まれていき・・・

 

 

さて、この本を読んで私が気になったのは、

 

「毒虫」って結局なんだったの?

 

です。

 

ということで、「毒虫」とは一体何だったのか、考察をしてみたいと思います。

(この記事は完全に私の思いつきであり、根拠は特にない感想文のようなものです、あしからず。)

 

ところで、カフカは執筆当時から表紙に「毒虫」のイラストを描くことを固く禁止しており、このことから作者は毒虫を一つのイメージとして固定することを避けていたそうです。

 

外見的特徴は本文には断片的に描かれており、まとめると↓のような感じでした。 

・腹に節がある

・足が複数ある(数は不明)

・背中が硬くて湾曲がある

・仰向けに寝ると自力で起き上がるのに苦労する

・狭い部屋で向きを変えるのに手間がかかる

・大きな複眼がある

・怪我をすると体から緑色の液体が出る

・巨大である

 

一応辞書でも調べてみました。

 

どくむし【毒虫 venomous insect】

人体に直接または間接的に害のある,危険な昆虫やクモ・ムカデ類その他小動物の総称。その害は種類によって軽微のものから激しいものまである。毒はないが毒虫に似ているものも恐れられることが多い。(世界百科事典第2版)

 

・・・② 転じて、人に害を与えるもの。また、いやがられ、きらわれるもののたとえにいう。(精選版 日本国語大辞典

 

 

以上の特徴から、人々が毒虫に対して抱くイメージは下記のようになると思われます。 

 

1,負の利益しかもたらさないもの→役に立たないもの

2,忌み嫌われるもの

3,通常の動物よりも強いもの→畏怖されるもの

 

ではそれぞれのイメージに基づいてグレゴールと家族の関係を考えてみます。

 

1, 負の利益しかもたらさないもの→役に立たないもの

グレゴールは毒虫に変身したことによって、自分の部屋から外に出ることができなくなり、実質引きこもり生活を余儀なくされます。変身以前のグレゴールは家族の生活を支える一家の大黒柱であり、働き方は尋常ではなかったようです。2章の彼の回想によると、人間だった頃の働き方はほとんど過労死レベルのものであり、実際に彼は多少のうつ病を患っていた表現も見られます。彼は変身によって、家庭の役に立つものから役に立たないものへと変身してしまったということを「毒虫」であらわしたのでしょうか。

 

 

2, 忌み嫌われるもの

毒虫は害虫として大抵は忌み嫌われますよね。でも、変身した当初のグレゴールは家族にショックを与える存在ではありつつも、完全に嫌われていたわけではないです。(最初は驚かれただけで、ちゃんと看護してもらってます。)彼が完全に嫌われたのは、3章でグレゴール家の下宿人の前に姿を現すという失態を犯してからです。ここで嫌われたのは、彼が毒虫の姿を見せたことで一家の資金源であった下宿人から慰謝料を請求されるという、一家にとって損となることをしたのが原因です。 ここでも毒虫=負の利益をもたらすという概念の上で嫌われるという結果を生み出しています、

ということで2は1の結果起きたかもしれません。

 

 

3,通常の動物よりも強いもの→畏怖されるもの

毒虫は、恐れられるものです。

しかし、主人公グレゴールは強い人間というよりかは家族思いで、悪く言うと家族の言いなりの強さとは真逆のイメージを持つ青年ですね。

なぜ彼と畏怖される動物が結びつくのか。 

 

グレゴールは家族のために休む間もなく働き続け、常に莫大なストレスを背負っています。ある日目覚めたときに体が毒虫に変身してベッドから起き上がれなくなったことは、これを、彼の肉体と精神が限界に達し、重度のうつ病を患ったことの比喩表現と捉えてみましょう。では、このときなぜ彼は毒虫へと変化したのでしょう。

 

それは彼の内なる欲望が表面に現れたからです。

 

彼は家族のために身を削って重労働をこなしてきた一家の大黒柱的存在という意識を持ち、彼は無意識的に家族から感謝され、尊敬されることを望んでいたのです。

 

「こんなにがんばっているから、もっと自分を敬ってほしい、畏怖してほしい」

 

普段は理性の抑制力によって無意識下に押しとどめられてきた欲望が、精神疲労の末についに無意識の防波堤を越えて意識上に溢れてきたのではないでしょうか。

 

1章では彼が理性的思考をもち、家族をいたわる描写が随所で見られるのに対して、3章では本物の虫のごとく理性を失い家族を自らの毒によって怖がらせ、彼らを服従させようとしています。これは、グレゴールが家族に対して

「自分をもっと認めろ、強者である自分を敬え」

という訴えの強まり、もはや理性の抑制では歯止めが行かなくなってしまったことを示しているのではないでしょうか。しかし、家族は「毒」を露骨に見せはじめたグレゴールのことをどんどん嫌いはじめ、排除の意志を固めてしまいます。いつも縁の下でがんばっているけど家庭内で空気なお父さんが、ワーカホリックになって家族に「俺を敬え!」といったら総スカンをくらったかんじでしょうか。 

 

 

この場合、畏怖させようとしたらうっかり役立たず(1)になって、その結果2になった感じですね。

 

 

以上、とってもとっ散らかった考察です。文章量からわかるように、私は3の説を推しています。

 

みなさんは、「毒虫」は何だと思いますか?

 

色々想像すると楽しいですね。

それでは、閲覧ありがとうございました!!

 

文章:恵

 

 

 

知恵がつくとご飯は美味しくなる?

 皆さまおはようございます。

 普段は北の大地で布団にくるまっていることの多い、3年のすずめといいます。

 

 何書こうかと悩んだのですが、自分の原点に立ち返れば文章書きやすいんじゃないとのアドバイスを人から聞き、ご飯の話をしようと思った次第です。 つまり私の原点はご飯を食べることだと。

 

 私はご飯を食べるのが好きです。だからといって自分で料理を毎日3食きっちり作っているとかそういうわけではないんですけれども。何なら1食作ったら、「すごい。自分が料理してご飯を作っただなんて」と感動してしばらく作らなくなります。

 

 さて、本日掲げました「知恵がつくとご飯が美味しくなる?」について。

 日常生活で自分にその知恵がついてしまってもご飯がより美味しく感じるようになった経験って皆さんありますか?

 知恵、とは申しましたものの、何も「苦悶死した魚は筋収縮でATPが減少しうまみ成分であるイノシン酸が少なく云々…」…そこまで細かく知らなくても、「ステーキ、ビールにひたひた漬けてから焼けば肉が柔らかくなって美味しいって聞いた」ぐらいの豆知識や「あの人の食べてるやつ、なんか美味しそうなんだよなあ…頼んでみようかな」というもはや知恵というより5感で感じているものも、含めて考えてもらえたらと思います。

 

 知恵がついてしまう(?)機会っていうのは本当にいろんなところにありますが、私の経験を一つ話しますとこんな感じです。

 2年前、魚の研究をしている先生の授業をとったときのことです。

 あれは日本の地域ごとに漁獲される魚介類を紹介していた時だと思うのですが、先生がスライドにのっている赤い魚を指さしながら、「イヤァ、僕はね、これ新潟行ったときに食べたんだけどね、淡泊でね、大変美味しいんだよねェ…マッ、君たちには簡単に食べられないくらい高いからまだ食べられるのは先だろうけど」と何かこちらを見ながら自慢気に言ってきたことがあります。

 ただでさえその授業はお昼過ぎの時間帯にやっていて軽くしか食べていない学生が多い中で色々な”美味しい”魚介類が紹介されているので、皆スライドを見ながらさっき昼ご飯を食べたのも忘れて唾を飲み込んで見入っているわけです。自分の少ない残高を脳裏に浮かべ”いつか食べたいもんダナ”と思って、皆受けているわけです。そんな時にあの先生の一言。まあ、ちょっと(どころではないけど)、悔しいじゃないですか。

 しばらくして休暇が来た時。小樽から新潟までフェリーが出ているのを何となく思い出しました。「あれ、あの魚食べに行けるんじゃ・・・?」

 それで急いで計画を立ててはるばる新潟までいってその魚を食べにいきました。さすがに刺身はべらぼうに高かったので、安めだった釜めしを。先生が強調しただけあって、美味しかったし、何より「食べてやったぜ」と謎の達成感でもって余計に美味しかった気がします。いつかお金をためてお刺身の方も食べたい…私の想像ではムチムチしていて甘みが舌にふんわりひろがるような味のはずなんです。知らないけど。

 

 

 食べ物と言えば、グルメと言えばということで一人、作家さんを紹介したいと思います。それは池波正太郎さん!!

ja.wikipedia.org

 池波正太郎と言えば時代小説・歴史小説の大家の一人ですよね。私の父が好きな作家で家に幾冊か彼の作品があったのですが、その中で1冊だけ随筆がありました。

books.bunshun.jp

何が素敵かと言うとこの「ルパスタン」という本の中には幾つか料理が出てくるのですが、それがどれもとても美味しそうに書かれているのです。「エッ、そんな美味しいなら私も食べてみたいナ」「待って待って、夏バテ対策にピッタリそうなさっぱりした…素敵なご飯だナァ」とどんどん頭の中が幸せな空想でいっぱいになってしまったこともしばしば。(おなかがすいているときは特に)

 さらに彼の随筆にはこんなものも。これは大学生になってから古本屋で見つけて買って読んでいました。

www.shinchosha.co.jp

 美味しそうなご飯を紹介してくれる作家さんが期待を裏切るはずがなかった…

何が恐ろしいって、この本では東京の神田、浅草や銀座やらを主として(大阪のお店もでてきます)お店でご飯を食べた思い出がたくさん書かれているのですが、池波正太郎さんが訪れたお店は今でも営業されているお店が何軒かあるんです!!つまり、彼も味わったこの美味しそうなごはんを食べられる可能性があるということです!しかし、決して、決して文句を言うつもりは全くもってないですし、尊敬しているけれどもそれでも思ったことがあります。

 

「確かに、彼の生まれた年代を冷静に考えたら、

 そりゃ現在まで残っているってなったら…

 老舗

 だよねェ…」

 

 いい料亭も載っているので、なんと言いますか、学生の身には結構大枚必要な気がするお値段のお店も。お金を浪費せずコツコツためればきっと行ける日がいつか来るはず…!!どじょう食べたい!かやくめしも!

 こんな風に言って如何にも一軒も行ったことがないような雰囲気を醸し出していますが、実をいうとたった一軒、行ったことがあるのです。浅草にある、浅草梅園という和菓子屋さんに粟ぜんざいを食べに行きました。美味しかったなあ…

 

 タイトルを回収できているか怪しいし内容が脱線しそうな気もするので、そろそろ収束させようと思います。ともかく

情報を入手すると人はそれをより美味しそうに感じたり、或いは想像力を掻き立てられるあまりそれを食べようと謎の行動力を発揮できる可能性がある

というのをまとめとします。ごはんへの好奇心が不思議な効果を生み出す可能性がある、ともいえるかもしれません。

 何かを知ることが、それは例えば産業と郷土料理の関わりであったり、たまたま知っている人が農家をやっていて作っている野菜に興味をもつことであったり、或いはいい香りをかぐということであったり、そういう情報量が増えると人ってごはんを美味しく感じたりするんじゃないかと思うのです。人によって考え方は違いますから食べることに興味がない人にごはんがどう映るのか、或いは好きでも私とは違う見え方があるはずなので、それはそれでいつか意見を聞いてみたいところです。

 

 それはそうとワカサギのシーズンが来たから釣り人で誰かワカサギ分けてくれたりしないかしら。食べてみたいものです。コロナも早く収束して、そうしたら南方のお魚を食べに南の方へ遠征したいというのが、昨今のワタクシの願望であります。

 

 うーん、この話って結局筆者がおなかをいつも空かせているだけ…かも???

 

 ではでは。よい一日を~

 

文責:すずめ

 

参考:

池波正太郎 - Wikipedia

文春文庫『ル・パスタン』池波正太郎 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp)

池波正太郎 『散歩のとき何か食べたくなって』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)