名古屋大学読書サークル

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おかっぱの女

こんにちは。ブログでのみ生存が確認できるがおです。

 

最近、ブログを書くために「むらさきのスカートの女」という本を購入しました。2019年に芥川賞を受賞した本で、160ページと比較的短いので読みやすいです。

自分の本を購入する際の基準が、なにかしら賞を受賞しているか否かになってきておりよろしくないな~と思っていますがまんまと主催者側の思惑に乗っていますね。

 

 

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あらすじ

紫色のスカートをいつも履き、公園のベンチの必ず決まった席に腰掛ける女は「むらさきのスカートの女」と町の人から言われている。むらさきのスカートの女を観察する私はむらさきのスカートの女と友達になるために自分の職場に就職するように誘導する。むらさきのスカートの女の一日の行動は常に私の観察で語られ物語は展開していく。

 

さてこの本を読み終わった感想はなぜこの本が芥川賞を受賞したかでした。

物語に起伏が少なく、巧みな表現や工夫を凝らした文があるわけではありません。ただむらさきのスカートの女の行動が私の観察(ストーキング)によって書かれているので気味の悪さがありました。

 

これでは抽象的な絵を見て、表現技法や画家の芸術性を感じ取れないないことはおろか自分の方が上手い絵を描けそうだと考える" 美術館にいる時の私" の状態になりかけていました。そこで選評を読んでみることにしました。

 

むらさきスカートの女 選評出典:『文藝春秋』令和1年/2019年9月号

 

「見る側の奇妙な思い込みは、他人を鏡にして自身のいびつさを際立たせるのだが、そのいびつさをなにか愛しいものに変えていく淡々とした語りの豪腕ぶりに、大きな魅力がある。」「本作を推した。」   堀江敏幸

 

語り部である女が、この小説では最も異常性が顕著だが、読み手はむらさきのスカートの女を変わり者として感じてしまう。このふたりがじつは同一人物ではないかと疑いだすと、正常と異常の垣根の曖昧さは、そのまま人間の迷宮へとつながっていく。今村さんは以前候補作となった「あひる」でも特異な才能を感じさせたが、今回の「むらさきの…」で本領を発揮して、わたしは受賞作として推した。」 宮本輝

 

むらさきのスカートの女を観察者の語りによってしかとらえることができない、人の存在は周りの認知によるものであることをむらさきの女のボヤっとした印象を読者に与え、読み終えた気味の悪さを感じさせる文の書き方が評価されていたのではないでしょうか。

 

本を読み終えた後、むらさきスカートの女のような存在が自分の身の回りにいるか考えてみました。

図書館に行くと必ず席の最後尾に座っているニット帽の男。彼の素性は知らないが、いつも自習室の定位置に座り、中高生に交じって勉強をしている。
ニット帽の男をどのように自分が観察しているかを考えることで自分がどんな思考の偏りを持ち他者を認知しているかや自分の中のいびつさがわかるのでしょうか?

 

また自分は他人にどう観察されているのか考えてみると面白いです。例えば私は毎朝6時52分の電車に乗るおかっぱの女と名付けられそうです。

" 彼女はたいてい6時52分の電車に乗り、一番側の席か、窓枠がある席に座る。背をもたれて寝るためだ。彼女は周りの様子をうかがうことをしない。過度に乗客と目を合わせることを恐れている。私はそんな彼女を見ながらどんな生活をしているのか予想する。彼女は恐らく口数が少なく__”

といったところでしょうか。

 

知人ではないが、一方的に知っている人間の一日を見てみるとその見方に自分自身を見ることができるかもしれませんね。(小並感)

 

書いた人  がお