名古屋大学読書サークル

サークルメンバーがゆるりと記事を書くスペースです

記憶の中から

こんにちは。今回の担当、鞠子です。

 この頃多忙により新しくなにか本を読むということがあまりできていません。多忙というより作品という完成されたものに向き合うだけの気力がなくなってしまいました。この精神疲労と寂寥、なんとかしたいところです。

 

今回は「昔読んだけどまだ自分には早かったかな」という本をご紹介します。

書店で、学校の図書館で、ふと惹かれて読んでみたはいいものの今の私には早かった、芸術性についていけなかった、もう少し時が経ってから読み返したいと思った、誰しもそんな本との出会いがあるでしょう。同じ作品でも、読むときの自分によって姿を変えるので面白いものです。みなさんにもあるのではないでしょうか。今回はそれについて書こうと思います。

 

※私の読書傾向はかなり偏っていますのであしからず。

 

 

・ジュネ「花のノートルダム

花のノートルダム (光文社古典新訳文庫)

花のノートルダム (光文社古典新訳文庫)

 

  好きな作家である嶽本野ばらの作品に登場したので高校生の頃読んでみました。

……難解。確かに美しいけれども、どこから落ちてくるかわからないバラの花びらを食べているような、そんな感覚になりました。比喩を多用するあたり、三島由紀夫に似たものを少し感じました。フランス文学には全く疎いですが、生い立ちを鑑みるにこのジャン・ジュネという作家のほかの作品も気になります。「泥棒日記」や「薔薇の奇跡」など、きっといつか読みます。おそらくは大学在学中に。

私が読んだのはこの中条省平訳でしたが、堀口大学訳もあり、そちらのほうが今は気になっています。

 

 

 

三島由紀夫豊饒の海

 リンクを貼ったのは第一巻「春の雪」だけですが、「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」と続きます。

 そもそも私が日本近現代文学を好んで読むようになるきっかけは三島由紀夫でしたが、高校生の頃、ぜひ読まねばと思ってこの四部作を無理やり読んだ記憶があります。これは私が三島由紀夫の芸術についていかれなかった。非常に感動はしましたが、今読んでも完全に味わうことはできないかもしれません。この作品については人生を通して何回か読みなおす必要がありそうです。いまのところは、第三部作の「暁の寺」が気に入っています。むっとして暑い東南アジアの気候をあたかも皮膚で感じられるような文章と、作品を一貫して感じられる虚しさのようなものが好きです。タイやインドに興味を持ったのもこの作品からです。

  

 この二冊とも高校生の頃読んだ(あるいは、読んでみた)作品ですが、高校時代はとにかくたくさん本を読んでいました。現実がつらく、本の世界に逃避することで救いを得ようと、浴びるように本を読んでいました。当時は大量に消化するのみでしたが、今は一冊一冊を味わうように読むべき時期なのかもしれません。

 

 話は変わりますがどうも私は本との出会いのタイミングがあまりよろしくなく、風邪をこじらせていたときに北杜夫の医療を扱った作品「夜と霧の隅で」に出会ってしまったり、アルバイトで心身ともにクタクタの時に「怒りの葡萄」を読み始めてしまってげっそりしたり、なんてこともありました。恋人ができたばかりで浮かれていたときに林真理子の不倫小説「不機嫌な果実」を読んでしまって嫌な気持ちになったことだってありました。ほんとうに難しいものです。

 

……それではこのへんで、さようなら。みなさんの読書生活が素敵なものになりますように。またお会いしましょう。