名古屋大学読書サークル

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自由なんかいらない?

こんにちは。

 

今回の担当は2年の秦です。よろしくお願いします。

 

ところで私は、名大読書サークルに勢いで入ったのはいいけれど、今日にいたるまでほとんどの活動に参加しておらず、いわゆる「幽霊部員」という分類に入る人間です。

 

そういう訳ですので、ブログの更新のこともすっかり忘れていて、他の部員に催促されてようやく慌てて書いているわけです。

 

さて、今日は私の好きな本について少し紹介をしていこうと思います。

 

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488006518

 

『自由からの逃走』(東京創元社

 

ユダヤ人の心理学者であるエーリッヒ・フロムの著書です。

彼は本著の中でナチズムの精神的構造について鋭い分析を加えました。

 

ナチスと言えばひどい独裁政権として有名ですが、この政権は他の独裁政権と違う点が一つあります。それは、当時世界で最も民主的だと言われたワイマール憲法をもつドイツ共和国で、しかも正統な選挙に則って、ナチスが政権の座に就いたということです。

 

不思議な話ですよね?一旦自由を手に入れた人々が、なぜ自らの自由を奪うナチスを熱烈に支持したのでしょうか。世界史を勉強していた人は、一回くらいこの疑問を抱いたことがあるでしょう。そんな疑問に対して一つの回答を提示してくれるのがこの本なのです。

 

フロムによると、ファシズムの勃興とは「自由の重みに耐えられない個人が、一旦手にした自由を自ら放棄し、他の権威に服従する現象」の結果であるということが出来ます。

 

これはどういうことでしょうか?まず、「自由の重み」について説明しましょう。

第一次世界大戦に負ける前のドイツ帝国は、良くも悪くも権威主義的な体制でした。皇帝が居り、中間層が居り、貧しい労働者が居りました。各家庭の中では、家長が強い権限を持っていました。これがどういう意味を持つのかというと、多少経済が悪くて、暮らし向きが悪くても、ストレスの発散先があるわけです。中間層は多少生活が苦しくても、「自分たちより下には貧しい労働者がいるから」と悲観的になることもなかったですし、家に帰れば小国の主になった気分で威厳を保つことが出来ました。しかも上には偉大な皇帝様がいるから、彼らに忠誠を誓うことで自己満足に浸ることも出来ました。

これが戦後になってどうなったかというと、中間層にとって労働者はもはや自分より下の存在とも言えなくなってきました。自由選挙で社会民主党共産党が勢力を拡大したり、ストライキが多発した結果、労働者たちの待遇は良くなってきたのです。各家庭の中でも男女平等の進展によって家長の威厳というものは失われていきました。暮らし向きが悪くてもストレスを発散する先はもうありません。もうすがることのできる偉大な皇帝様もいません。

 

「自由」というものは人々(特に中間層)にとってあまり心地よいものではなかったのです。

 

そこに現れたのがナチスでした。「ドイツ人は優秀な民族である」、「ユダヤ人は劣等な人種である」と唱えるナチスは、アイデンティティを失ったドイツ人の心を見事につかみました。彼らに言わせれば「これこそ我々が求めていたものだ!自由なんかいらない。ナチスが心を満たしてくれるのだから。」というのが本音でしょう。

 

その後、異様な熱狂に包まれたドイツはそのまま戦争に突入し、「人類史上最悪の悲劇」を起こすことになるのです。

 

ナチズムについて考えるとき、我々は「ヒトラーという狂人のせいだ」とか「選挙でナチスに投票する人がアホだからだ」などと単純化してしまうことが往々にしてあります。しかし、物事にはきちんとした理由があります。フロムに言わせれば、ナチズムは前述した状況の下で起こるべくして起こったのです。そして、今後似たようなことが絶対に再発しない保証もないのです。

 

少し重い話になってしまいましたが、なぜ私が今回この本を紹介したのかというと、今の日本にもファシズムの素地があるように思われるからです。日本だけでなく海外に目を向けても、危険な予兆がいくつか見られます。フロムは著書の終盤で、ファシズムに陥らないために我々がどのような行動をすれば良いのかということにも言及しています。あのような悲劇を二度と起こさないためにも、当時のドイツで何が起きていたのかを、一人でも多くの人が知っておくべきではないでしょうか。

 

長文失礼しました。期末テストが始まっていますが、最後まであきらめず単位をもぎ取っていきましょう!

では、ごきげんよう

 

文:秦

本:エーリッヒ・フロム.(1951).『自由からの逃走』.(日高六郎訳).東京創元社